事態を丁寧に説明して、説得力を持つ。裁判官が構成した事実の語りが説得力を持つのは当たり前じゃないかと言われそうだけれども、倉田の『家畜人ヤプー』への関与については、ここで倉田自身が説明したことを受け入れてもいいと思う。
倉田の説明のコアは簡単に要約できる。司法と精神医学の関係で、倉田はクラフト=エビングを丁寧に読んでいたこと。倉田は大阪に拠点があったSM同好のマニアの雑誌である『奇譚クラブ』を通じて、同好の士と文通していたこと。そのうちの一人(Aと言われている)は、倉田がKEに詳しいと知ると、彼のほかの作品のためにKEの文を倉田に訳してもらいたがり、倉田に接近したこと。そのうち、AがSF風のSM小説を書こうと思っているという構想を倉田に話したので、SFにも詳しかった倉田が色々とアイデアを与えたこと。そして、『奇譚クラブ』で知り合った他の文通相手(Bとされている)に向かって、倉田自身が「詰まらぬ虚栄心から」、自分がその作品を書いていると言ったこと。それを信じたBが、『ヤプー』の真の作者は倉田であると雑誌に書いたこと。その結果、東京高裁の判事がSM小説の匿名筆者であるという特ダネにはしゃいだマスコミが、倉田を『ヤプー』の作者に仕立て上げたこと。
裁判官の話だから、もちろん説得力がある。ただ、倉田自身も書いているように、倉田のほかにもAの『ヤプー』執筆に関与した人物がいることも確かであろう。
ひとつ、私が腑に落ちないのは、初版『ヤプー』を書いたのが、クラフト=エビングのドイツ語が訳せなくて困っているような人物には思えないことである。あの著者は、英語と日本語をとりまぜて卓抜な言葉遊びをすることができる、外国語が達者なインテリであることは間違いない。もちろん英語ができるからといって、すらすらとドイツ語が読めるわけではないことは承知しているけれども、その二つの言語の能力と言うのは、大概の場合は相関的に身についているものだと思う。後半部の『ヤプー』を書いたのは、Aなる人物であることがわかっており、この部分に見られる著者の外国語の能力は、前半部のそれにくらべて著しく低い。だから、Aがクラフト=エビングが読めなくて倉田に接近したというのはわかる。しかし、前半部『ヤプー』の随処に外国語を使った言葉遊びは、そういう部分はAの筆によるのではないことを示唆している。これも倉田が教えたのかしら、それとも別の人かしら。
・・・とまあ、どうでもいいことです。今回の話では、著者の話は一切しません。というか、もともと、そんな話をする資格があるとは思っていないです。つい興奮しました(笑)