作業療法の歴史と自己

この仕事が終わって、長い長い修業時代が終わったら、精神医療についての広い文脈の中で形成された、身体と精神をめぐる日本近代の社会史という大きな主題についての本を書こうと思っている。そのためのメモ。

呉秀三は 1916『日本内科全書』のうち精神療法の項を担当し、「移導療法」という名称で作業療法を論じた。作業は、精神的苦痛を寛解し、苦痛の観念を記憶の外に駆逐し、その繁栄として肉体に有利となる。病気は、受容的な自我主義を亢進させる。自我がなにかによって「されている」という意識だろう。作業は、それ以外の印象を精神内に受容させ、かつて、病を起こしていた観念を駆逐し、深く隠されていた力が活動を開始する。森田正馬は、呉のもとで、東京府巣鴨病院作業療法を担当した。その効果は、気がまぎれるとか、精神が統一するとか、意志を鍛錬するとかいうことともちがい、精神の自発的な活動、自分自身を自覚し、境遇に服従し、自然に適応することであるといえる。一方で、精神病の一種、特に森田の神経症も、自己の機能である。ささいな自己の内部感覚に気づくようになり、これを異常と認め、病的と判断するとき、ますますこれに対する考察杞憂を逞しくして、病的観念となるのだから。

呉や森田がここでしていることは、作業療法という治療法であり患者の生活のあり方である手段について、かつての日本の自己のゆるやかな概念(「気がまぎれる」「精神統一」)に対比させて、ヨーロッパの新しい概念を用いて自己の自発的な活動というものを作り出していることである。この過程を通して、患者は自己の自発性を発見するプロセスがあっただろう。(仮説1)しかし、それと同時に、「受容的な自我主義」「自己の内部感覚」とも言われているように、この自己というのは、病気を引き起こすものでもあると理解されていた。精神病学者が唱えた精神病は、作業療法とは違う水準の自己を人々が発見して病気になる仕掛けでもあった。(仮説2)