養老孟司・布施英利『解剖の時間―瞬間と永遠の描画史』

必要があって、解剖学イラストの分析をした一般書をチェックする。文献は、養老孟司・布施英利『解剖の時間―瞬間と永遠の描画史』(東京:哲学書房、1987)

現代人ホモ・サピエンスは約5万年前に出現し、その後解剖学的にはほとんど変化していない。(中略)この事実は「文科的」には軽視されているのではないか。3

解体新書は輪郭線で、原画は陰影で描かれていて、前者は輪郭的、後者は階差的な思考である。 28

14世紀のヨーロッパの解剖図では人体と骨格の平面的な描写がされていて、これがヴェサリウスになると立体的になる。単眼は平面的に見るが、それに脳が加わって立体とする。平面的イメージから立体的イメージへの移行という歴史上の順番は、目から、脳+目へ、という変化であった。 32

京都の古方派の根来東叔は、手連骨真景図を描き、さらし骨を拾ってきてつなぎ合わせた図を描いた。広島の整骨医、星野玄悦は、刑死体を二体もらいうけて一つを茹でて骨格標本を作った。骨を所蔵することは禁止されていたので、その模型を木でつくり、これは「星野木骨」と呼ばれている。さらに精密なものは、大阪の整骨医の各務文献がつくった各務木骨であり、これらは東京大学の標本室に保存されている。

骨の形態を用いて詩や無常を描いた伝統が日本にもあった。源信の『往生要集』などには、九相観といい、人体が死んで腐敗して白骨になる過程を思い浮かべ眺めることが発心のきっかけとされており、この主題は文学にもなり図像化もされた。たとえば、滋賀県聖衆来迎寺の「人道不浄相図」は、円融天皇が、往生要集をもとに描かせたものと伝えられている。江戸から明治になると、河鍋暁斎の骸骨図が著名である。河鍋は幼少時より人骨に親しみ、骨ヶ原で人骨や死体などを眺めて過ごしていたという。