新着雑誌のチェック。精神医学史の大御所のスカルが、戦後アメリカの精神医学と社会科学の歴史を書き始めていて、二部構成の論文の第一部が現れたので、喜んで読む。文献は、Scull, Andrew, “The Mental Health Sector and the Social Sciences in Post-World War II USA:Part I: Total War and Its Aftermath”, History of Psychiatry, 22(2011), 3-29.
第二次世界大戦の後に、精神医学は根本的な変容を受けた。変容の一つのカギは、これは科学一般に言えることだが、連邦政府の巨額の助成が科学に投入されるようになったことにある。原爆とスプートニク・ショックを考えればいい。1938年に連邦政府は、衛生科学に280万ドルの研究費を、農業には2630万ドルの研究費を投入していたというから、医学がいかにわずかの研究費しか用いていなかったかうかがえる。現在290億ドル使っているNIHは、1945年には18万ドルの予算だったという。巨大製薬会社が登場するまでは、戦後の医学研究は、連邦政府の役割の増大によって巨大化していった。
もう一つのカギは、戦争中にアメリカが直面した戦争神経症である。アメリカは、第一次世界大戦のシェルショックを知っており、スクリーニングで不適格者を兵役から取り除くという形で対策を立てていた。しかし、それは全く役に立たなかった。世界大戦中に、アメリカの戦争神経症の患者は100万人に達した。1944年のヨーロッパでは年間に1000人につき250人の患者が発生し、ガダルカナルでは傷病兵の40%は精神病関連であった。
アメリカが第二次世界大戦で経験した精神病のエピデミックは、それまでの精神医学を大きく転換した。それまでは、精神医学の大部分は、田舎の巨大な精神病院で慢性の長期入院患者を安い予算で面倒をみることに消費されており、それは医療と人々の関心の周縁に位置する医学の一分野であった。一部の人しかかからない重度で慢性的な患者群がその対象であり、その対象となる人口は優生学や遺伝の言葉で特徴を記述できる人々であった。それが、ある環境に置かれて心理的な負荷をかけられると、健康な若者たちが続々と発病する病気であるという姿を見せたのである。アメリカにおける施設精神医学の終りの始まりであり、精神分析の黄金時代の始まりであり、そして精神医学に隷属していた心理学が心理療法に進出することの始まりであった。
ひるがえって日本のことを考えると、とても面白い。日本は、この時点では、精神病院と病床の数が少なく、それらの財源も違っていた。戦争神経症にかかった兵士はもちろん存在したが、兵士たちが帰ってきたときには、それを診断する医者がいなかった。<それゆえに>、戦争神経症は、日本では精神病のエピデミックを起こすことができなかった。むしろ、日本では戦後に収容型の精神病院が発展し、進行麻痺がなくなった精神病院の風景の中で、慢性的な疾患としてもっとも重要なただ一つの疾病となった分裂病が神秘的なまでの疾病として関心を集めた。