中世アラブ=イスラム世界における人間性の限界

Al-Azmeh, Aziz, “Barbarians in Arab Eyes”, Past & Present, no.134(1992), 3-18.
必要があって、中世アラブ=イスラム世界が、世界の周辺地域において、どのような人間が暮らしていると考えていたのかを分析した論文を読む。

歴史における何らかの集団というのは、対立するものを作り上げることを通じて繁栄する。道徳的な境界線を引き、外部のものと自分たちを区別する違いを作り上げ、「エキゾチック」なものとは透過性がない堅固な境界で自分たちを囲もうとするのに大きなエネルギーを用いる。このエネルギーは、激動の時代、不安定な時代、闘争の時代には大きくなり、最終的には人種差別による明確な敵意を取るようになる。

このような基本的な発想で、中世のアラブ=イスラム文化における「文明の境界」の想像と論理を鳥瞰した論文である。重要なポイントは二つあると思う。

一つは、人間が居住できる区域についての考え方が、ギリシアの自然哲学の思想に従っていたということである。暑い地域から寒い地域まで、それに湿っている・乾いているという性質を加えて、世界は七つの気候ゾーンに分けられる。アラブ地域は、これらのうちの温帯地域に存在し、インドも中国も地中海ヨーロッパも存在する。一方、アフリカや東南アジアの熱帯部分は暑い極に存在し、ロシアや北欧は寒い極になる。

もう一つは、世界の暑い極と寒い極の双方では、人間は野蛮に近づき、その接近が継続して反=自然となり、反=道徳となるということである。世界の境界部分の人間は、色が黒いことや白すぎること、背が低いことなどにはじまって、首がなく、頭が胴から直接生えていること(ノルウェイ)などの奇妙な特徴を持つ。さらには、これらの地ではカニバリズムが行われ、動物との交合による人間と動物のあいのこのような種族も存在する。極め付きとしては、黙示録の「反キリスト」の種族であるゴグとマゴグたちが、その登場の時を待っている島もインド洋に存在する。つまり、自然的な説明が試みられる「変わった人間」から、道徳的な拒否と嫌悪と恐怖を結晶させる「反=人間」に至るような境界が作られるのである。