Martin, Morag, “Doctoring Beauty: the Medical Control of Women’s Toilettes in France, 1750-1820”, Medical History, 49(2005), 351-368.
必要があって、18-19世紀フランスにおける、医者たちによる化粧論を分析した論文を読む。
必要があって、18-19世紀フランスにおける、医者たちによる化粧論を分析した論文を読む。
1818年に、パリの女性たちが熱狂した書物が売り出された。すべての女性が本屋に馬車で乗り付けて夫に買いにやらせ、買ってくるやひったくるように本を奪ってむさぼり読む熱いベストセラーは、大学医学部のJ.B. M?ge による『衛生と美の連合』であった。このベストセラーが語っているのは、18世紀の後半から、女性の化粧に反対する議論の中に医学が入ってきたことである。厚い白い化粧、ほお紅、つけほくろ(beauty patch)、そして有名な髪粉をふって巨大に編み上げた髪型。これらの化粧に対する道徳的な批判、あるいは美的な批判は、長いこと存在した。18世紀後半に現れたのは、それよりも強力で説得力がある批判であり、それが科学を用いた化粧の批判であった。とくに、現行の化粧は有毒であり、美しさを損ない、生命を危険にさらすと証明する方法が用いられた。
しかし、この医学的な介入はうまくいかなかった。この部分の議論が、この論文のキモである。医者たちは確かにごてごてした化粧よりも清潔を唱えた。コルバンそのほかが示すように、水が用いられるようになった。18世紀の末までには、女性の「トイレット」には、バスタブとまではいかないが、水盤が置かれるようになった。メルシエは、女性の真の身の飾りは、「清潔・清潔・清潔」であるといった。天然痘に対する種痘は、美を損なわないためにという理由で医者たちに勧められた。これらの意見はある程度聞かれるようになったが、それは、女性が化粧を放棄したことにはならなかった。18世紀の後半には、女性たちは衒示的な大馬力の化粧ではなく、レカミエ夫人のような繊細で自然に見える化粧に移行したからである。医者たちは、女性たちを読者とするアドヴァイス本の中で、化粧を勧めるという手法を取った。そこでは、根底的な化粧の批判はあらわれず、有害なものを批判して、無害なものは目をつぶる・勧めるという方法を取らなければならなかった。医者たちは、化粧を批判するというよりも、科学の名においてフランス女性の化粧におすみつきを与えるという機能を担うこととなった。アドヴァイス・マニュアルでは、虚栄心と誇りは、女性にとって必要な社交的な傾向であるとされたので、女性が虚栄心に従って化粧をすることは、彼女を社会的に幸福にすることであるという枠組みに、医者たちは従った。
介入の場として選んだ「アドヴァイス・マニュアル」という装置が、医者と読者をある関係に形成したからという着眼が面白い。これは一見トリヴィアルに見えるかもしれないが、どんな場において生活を医学化するかということは、医学化の内容とかたちに大きな影響を与えることは、もっと意識していい。