美術館での医学教育



『ガーディアン・ウィークリー』でイギリスの指導的な癌の専門家で美術評論家でもあるマイケル・ボームの記事を読んで、それに共感するかどうかは別にして、イギリスで医者による medical humanitiesが成熟して形をなしてきているのを実感する。医療人文学の世界では、最近はpathography と呼ばれるもので、病気について残された記録を分析する学問である。普通は言葉で書かれたものだけれども、絵画でもいい。同じ言葉が、日本ではだいぶ前から使われていて、「病跡学」と訳され、精神医学者が過去の有名な人物を診断する学問をさしている。日本に pathography という言葉が入ってきたのは、たぶんドイツ語からの経緯だと思うけれども、調べていない。

『ガーディアン』の記事で伝えられていたのは、ボーム教授は、普通は病院をする巡回診察を、年に一回だけロンドンのナショナル・ギャラリーでやるのだという。絵をみて、そこに描かれている死や病気から、医学を学び、また芸術を鑑賞することを学ぶのだという。彼の学生は多く芸術における病気を素材にした論文を医学系の雑誌に書いており、どの程度真剣に医学教育の中でとらえられているかどうかは別にして、医学者の教養として機能しているのだという。具体的には、ピエロ・ディ・コジモの『死んだニンフの体の上で嘆くサテュロス』の、ニンフの死体のポーズなどを見て、それがどのような死を描いたものかという絵画的事後診断をしたり、ブロンツィーノの『ヴィーナスとキューピッドのアレゴリー』の周りに描かれていることから、梅毒の末期症状への言及を見出したりするというような議論である。

これが「医学史」なのかという議論は難しい。私にはそういう議論をする資格はないし、この手の議論は、現代の医療を外から見る視点を作るには至らない、トリヴィアルな「医者の趣味」的なものになるという意識を持っている。しかし、医者はより高尚な趣味を持つべきだと思うし、芸術作品をみて医学について考えるための教養の基礎を身に着けさせるというのは、これからいろいろな意味で前よりも厳しい時代に入る日本(と世界)の医者にとって、必要であるかもしれない。

二つの絵画の画像を載せておく。この絵の科学的な絵解きができる医者は、医学史研究者ではないかもしれないが、好ましい医者であるというのは間違いないだろう。