「文明という病」という思想―丘浅次郎

丘浅次郎『進化と人生 上・下』(東京:講談社、1976)
丘浅次郎は、明治元年に生まれ、太平洋戦争での敗戦の前年の昭和19年に没した動物学者である。研究と教育というより、進化論や生物学に基づいて、公けの場で議論を発展させたことで知られる論客である。議論の特徴は、生物学にベースをおき、それを社会や文化の現象に適用するということである。この二巻本は、20余りの論文などを集めて1906年に初版が出て、1921年に増補4版が出た著作を文庫化したものである。その中から、「人類の将来」と題された論考を読む。1910年の『中央公論』に掲載されたものである。この論考の一年前にも、同じ『中央公論』に、「所謂『文明の弊』の源」という論考を出版していて、これと呼応したものになっている。

文明の進展にともなって、まさしく文明を進展させた力によって、文明が衰退するというヴィジョンを描いている。西洋史の文脈で言うと、19世紀の後半にはじまった進化論を受けた退化説と、それを受け継いだ優生学などが深めた「文明という病い」という主題であり、日本の文脈で言うと、文明への素朴な信頼があったと言われる「明治精神の終わり」を感じさせる。文明の隆盛を誇る人類に、中生代の恐竜や第三期における巨大な哺乳類などの姿を重ねて、これらのかつて栄えた生物はなぜあっというまに衰亡したのかと問う。丘によれば、進化論を杓子定規に適用して、彼らが生存競争に敗れたからというような簡単な考えでは解決できない。丘は、これを源平の盛衰における平家の滅亡にたとえて、平家の滅亡には、単に源氏がより強力な競争相手として現れてこれに負けたというだけでなく、平家自身に、内から滅びる原因があったからだという。そして、この内から滅びさせる力というのは、まさしくその隆盛の原因となった力と同じものである。人類も、現在の隆盛を築いた理由となった力そのものが、それを内から滅ぼしているというのだ。

文明発展の力となったと同時に、文明をほろぼす力となっているもの―丘は、この力を分析している。人類が今日のありさままで進んだのは、言語と器械の力、脳と手の力による。ここから所有が生じ、貧富の懸隔がはなはだしくなり、少数の極富者と無数の極貧者がいる世界となった。金銭のための競争は激烈となり、道義と人情は顧みられなくなった。生活が利便になれば身体の抵抗力が減じ、わずかの寒暑にさらされても病気になり、歯と消化器官は弱くなり、人は『吾輩は猫である』の主人公のように胃弱に苦しんでタカジャスターゼを飲む。

この環境は、人々の精神もむしばむ。富家のぜいたくな生活を常に目の前に見ているから、金や財がいくら十分にあっても、不足しているように思われる。常に競争に負けはしないかという不安がある。この不安の結果、無意識にしているただの競争とは違う刺激が神経に与えられる。さらに、電車・汽車のやかましい響きの聴覚への刺激、劇烈な光と真っ黒な画面を一秒に目にもとまらぬ速さで点滅させる活動写真は、網膜と視神経から脳に刺激を与え続ける。これが、神経衰弱を起こさせ、神経の働きを過敏にさせ、病的にさせる。わずかなことが心配になり、少し逆境に立つと失望落胆する。

さらに、教育と識字率の進展は、社会に不条理な制度が存在するときに、不平を生ぜしめる。無知と野蛮・半開の時代には、人々は、飢えず凍えず安全でいればそれでよかった。貧富の格差はあたりまえの、人々が受け入れていた現象であった。教育の進展と自力の思考力の定着にともなって、そうはいかなくなる。社会主義はこのようにして生まれ、発展しているのである。