18世紀以前の天然痘の予防技術

Boylston, Arthur, “The Origin of Inoculation”, Journal of the Royal Society of Medicine, 2012: xxxx, 1-5.
人痘や種痘の起源についての刊行予定の論文が、ゲラの段階でSmallpox メイリングリストに投稿されて話題になったので読んでみた。確かに明晰に書かれた素晴らしいまとめであり、授業などで使うのに最適である。

天然痘に対する予防法として、天然痘に罹った人から、そのカサブタなり膿なりを接種する方法は総称して「人痘」と呼ばれ、1796年のジェンナーの種痘の実験につながり、天然痘の根絶にいたる重要なテクニックだった。人痘のテクニックが有名になったのは、オスマン帝国におけるこの技術の利用が、イングランドのロイヤル・ソサエイティに報告された18世紀の初頭であり、当時コンスタンティノープルに滞在していたモンタギュー夫人の1720年代の活動によるものであった。これらはもちろんイギリス人による「発見」を意味しない。報告したイギリス人たち自身が、この技術は各地ですでに行われていることを明記している。また、この報告を読んだ人々も、この技術は世界の各地ですでに行われていると言及している。ボストンのコットン・メイザーは、1714年のロイヤル・ソサイエティの報告を読んだあと、自分の召使いでリビア出身の男が、小さい時にこの方法で天然痘を予防したと書いているし、1723年にイギリスの天然痘を調査したジェイムズ・ジューリンは、ウェールズ地方ではこの技術が長いこと使われていたという医者の手紙を紹介している。18世紀初頭のロイヤル・ソサエイティを中心とする人痘による予防の活動は、世界の各地ですでに行われていた技術を広く知らしめて「情報のハイウェイ」に乗せ、大規模で組織的な実行に移すためのプロセスを始めたということである。ついでに言えば、ジェンナーの牛痘を利用する方法も、すでにイギリスの農民が用いていた記録がある。

 このあたりまでについては、医学史の研究者はもちろん、たぶん歴史学者の間でも常識の部類に属することである。問題は、このテクニックがどこで発生し、どのように広まり、18世紀以前にどのように分布していたかということである。ここで助けになるのが、そのテクニックは、具体的にどのような手段を用いていたかということである。記録として古いものが残っているのは中国とインドである。前者では16世紀の半ばには、実施された記録があり、17世紀には広く行われたという記述がある。11世紀に行われたという証言もあるが、これには確証がない。中国のテクニックは、鼻から吸入させるものであり、かさぶたを粉末にしたものや、膿を綿に浸して鼻から吸入させるものであった。一方インドでは、18世紀には、鉄の針で膿をついて、腕に切り込みを入れる方法が行われており、これはオスマン帝国で用いられていてイギリスに伝えられていたものと同じだが、これがどの程度インドで長く用いられていたかは不明であり、むしろオスマン帝国からインドに伝わってものだろう。