小川正子『小島の春』

小川正子『小島の春』(東京:長崎書房、1938)
小川正子は、東京女子医専を卒業し、ハンセン病患者の収容施設である長島愛生園に奉職した女性医師である。彼女の仕事の一つに、いまだ収容施設に入所しないまま生活している患者の村を訪ねて愛生園への入所を説得するということがあった。そのために、ハンセン病は人々が考えているような家に遺伝する病気ではなく周囲の人に感染する感染症であるのだというメッセージ、愛生園は人々が想像するような恐ろしい惨めな場所ではなく素晴らしい場所なのだというメッセージを伝えて回る必要があった。このためには、もちろん彼女自身の個人的な熱誠も重要だったが、愛生園などはフィルムを作成し、そのフィルムを上映して回るのが重要な宣伝方法であった。特に、彼女が訪れたのは、僻地の山村や島嶼が多く、場合によっては「癩部落」と呼ばれて周囲から孤立していたり、あるいは山奥で孤立的な生活をする家族であることが多かった。おそらく、疫学的な事情と社会的な事情の双方が絡み合って、僻地・周縁地にハンセン病患者が分布するという状況が作り出されており、そこに働きかけて収容院に入れることが彼女の使命であった。

このように、未開地を訪れる文明の福音の伝道師と同類の仕事をしている一方で、村の有力者や分限者の家に患者が出た時にも、その処置について相談にあずかって入所を勧めるという、おそらく正反対の性格の仕事もしていることも重要である。

彼女が訪れる村は、電気が十分に引かれていないことが多く、一番人気のフィルムの上映は、しばしば手で映写機を廻さなければならなかった(このあたりの機械の事情がよく分からないのだけれども、それはまあいい)。フィルム上演は色々な意味で切り札であった。娘を入所させた母親の夢を描いた作品があって、この上演が人々の心に訴えることは、彼女は相当な自信を持っていた。一方で、僻地ということもあって、映画というもの自体の価値もあって、夜に及ぶ場合でも多くの子供たちが上演を楽しみにしており、内容よりも画面で人が動けばいいのだということにも彼女は気がついていた。

文章は、当時大ヒットしたことが示唆するように、確かに優れている。愛生園の出張なので、基本的にはある種の業務報告の日誌という性格を持つが、それに個人的な紀行文・短歌の性格を持たせた文章である。少し前に保健婦の業務日誌を読む機会があって、その奇妙な文体に違和感を感じたが、そうか、『小島の春』の文体なのか。これは、『小島の春』の直接的な影響の問題だけでなく、高い教育を受け、あるミッションを持った若い女性の自己成形の問題でもあり、ここに朝ドラの主人公の基本形が生まれるんだろうな(笑)