軍規と処罰の妄想

青木義治「環境の幻覚及び妄想に及ぼす影響」(1)-(3) 『医療』vol.5, no.1: 1951, 5-8; vol.5, no.5: 1951, 266-269; vol.5, no.8: 1951, 410-415.
国府台病院の「精神科医長」であった青木義治による論文。幻覚と妄想が、環境や社会的条件によってどのように影響されるのかを研究するという枠組みで、戦争時に分裂病となった患者を、大戦開始1年間と、終戦前1年間の二つのグループにわけて、それぞれにおいてどのような妄想や幻覚があったかということを比較する研究である。幻覚・幻聴の内容が、戦争中・戦争末期・終戦とともに鋭く変化し、戦争中は軍規への違反が主に問題であったが、敗戦記には敗戦状況を判然と示すもの、戦後は敗戦事実に直面した苦悩のもの、戦犯、軍の混乱を示すものになった。

一番面白いのは、幻覚や幻聴の内容を整理した部分である。幻視については、天皇、死亡した戦友、隊長、戦友、敵が比較的多く、両親、情人、子供、慰安婦(・・・ううむ)の幻視を示したものがある。家郷の人や両親は、軍医・看護婦とともに、入院収容後に多く、特に後者は内地帰還後に現れた。単一な爆弾破裂、火花、閃光などは極めて少ない。幻聴については、音としては銃声、爆音、敵襲、太鼓の音があり、終戦直前には空襲警報と空爆が多い。幻聴の内容は、「死ね」「割腹せよ」「死刑にする」「軍法会議にかける」などである。これらは、もちろん死と結びついているものであり、戦争は「戦争においては、最後は格闘に身をさらさなくてはならぬ」と言われているように、死を直視しなければならない状況に身をさらされる。しかし、ここでより重要なのは、軍隊集団生活の環境の批判である。軍隊は、軍規を強大な指揮の力をもって全員を絶対的に服従せしめなければならず、それに違反したものには思い罰が課される。かかる制約にしばられたものが軍隊生活である。発現の多い罪業妄想ではすべてが作戦と軍紀違反であった。これは、戦場そのものより、戦時軍規がいかに病者に心的荷重になっていたかと確かに示唆している。この罪に対する解決・逃避として、自殺と脱走が選ばれたのである。

青木の1951年の論文は、諏訪の1948年の論文と較べたときに、軍の規律の批判に視点が向かっていることが特徴である。諏訪は弱兵を徴集したことが精神病の原因なりと主張したのに対し、青木は、軍の規律がいかに厳しいか、集団生活がいかに個人の心理に負荷となっているかという視点が中心になっている。「戦後の精神医学」は、戦争中の軍の規律と処罰を病理化したということは、一つのポイントである。