マリオ・バルガス=リョサ『継母礼賛』

マリオ・バルガス=リョサ『継母礼賛』西村英一郎訳(東京:中央公論社、2012)
バルガス=リョサは、ペルーの作家で、2010年にノーベル文学賞を受賞した。作品を読むのは初めて。二日続けて傑作だという記事を書くことは珍しいけれども、この作品も一年に一度出会うかどうかという素晴らしくエロティックな小説である。

主要な登場人物はペルーのリマの郊外に住む父親と息子と継母の3人で、中年を過ぎて妻を亡くしたドン・リゴベルトは、豊かな身体を持つ美しく官能的な女性である40歳のルクレシアと再婚した。前妻との間にできた息子のアルフォンソは中学生ぐらいの年頃である。もうひとり、ルクレシアのメイドであるフスチニアーナが重要な脇役として登場する。この設定を聞くと、『青い体験』を思い出す男性も多いだろうが、まさしくその通りである(笑)父親は美しいルクレシアとのセックスに夢中であり、一方美しく無垢で純真で残酷な少年は、やすやすと継母をベッドに誘う。ストーリーとしては陳腐なものであるが、それが素晴らしい作品になっているのは、バルガス=リョサが、このストーリーを神話と古典と現代芸術と組み合わせて、官能の幻想を紡ぎだしているからである。

この作品は、表紙に掲げられているロンドンのナショナル・ギャラリーの有名なブロンツィーノの『ヴィーナスとキューピッド』をはじめ、全部で7枚の絵画が付されている。ブーシェ、ティツアーノ、フラ・アンジェリコ、フランシス・ベーコンの有名な絵画に加え、ジョルダンス、シシュロといった私が知らない画家や作品も掲げられている。これらの絵画に素材を求めた官能の幻想が、独立した章として作品の中に織り込まれていき、3人が行う愛の場面が、絵画のイメージと共鳴する仕掛けになっている。この3人は、通俗的で陳腐なエロスのストーリーを展開しながら、ルネサンスから現代までのヨーロッパのエロスの想像力の中を生きるようになっている。ティツアーノの震えるような豊かな肉のヴィーナスや、ブーシェの輝くような裸体のディアナが、絵画の世界から出てきてペルーの陳腐な三人組になって官能をつむぎ、逆にその三人が神話の世界に入って行って、その欲望に古典の意味合いが織り込まれる。一方で、特に素晴らしいのが、ベーコンの『頭部 I 』というおぞましく変形した頭部の皮膚標本を描いた作品の世界に、ドン・リゴベルトが「私は怪物だ」といって入っていく部分である。リゴベルトは、『カーマ・スートラ』や『匂う園』に登場する男のように入浴しては体を磨き立ててセックスをする人物だが、それが内面の怪物に変形していくありさまは、おぞけが立つほどエロティックである。

大学生や大学院生は、文化のエロティックな魅力を再発見するために、まさに必読の書だと思う。ケネス・クラーク『ヌード』や、ホイジンガホモ・ルーデンス』ももちろん引用されている。私が美術史の先生なら、ためらいなく教科書に指定するだろう。いや、医学史でも指定しようかな(笑)