榊によるアイヌのイム論文

榊保三郎「イムバッコ(アイノ人に於ける一種の官能精神病)に就て(一月例会演説)」『東京医学会雑誌』15(1901), no.4, 1-15.
榊が書いたアイヌのイム論は、精神病医がアイヌのイムを実際に観察して書いた唯一の論文として長いこと標準的なものであり、榊がこれをドイツ語にした文献はドイツの教科書などに採用されていた、スタンダード・サイテーション・ワークである。

読んでみて少し驚いたのは、これは東京医学会での講演をそのまま原稿にしたものであること、講演の時の口語や冗談などもそのまま採録されていることであった。その中でも、アイヌに対する侮蔑的な表現は、内村や秋元の時代とは比べ物にならないほど、どぎつく、えげつない。「ところがどうもアイノという民族はよほど抜けた人種だと見えまして、自分の年を知らない、それくらいにベラボウの人種であります」「臭気紛々たる豚小屋のごときところ」[写真を聴衆に廻しながら]「これは今御回ししたような婆さん、それも非常に臭い婆さんです、その婆さんがニヤニヤとして私の所へ来て私を無暗に抱き締めた、実にその時の心持というものはありませぬでした(笑声起る)」

榊の論文は、科学的な客観性と学術の真摯さを欠き、露骨に軽蔑的な軽口を含み、いかがわしい戯話まで挟み込まれたものであった。科学的客観性を追求したクレペリンが率いるミュンヘンの精神医学研究所から帰国して北大精神科の教授となった内村が、この論文を標準的なサイテーションにしておいてはいけないと思ったことは、当然のことであった。