アメリカの優生学と南部の公衆衛生

小野直子「アメリカの優生学運動と生殖をめぐる市民規範―断種政策における<適者>と不適者>の境界」、樋口映美・貴堂嘉之・日暮美奈子編『<近代規範>の社会史』(東京:彩流社、2013), 163-185.

平体由美「アメリカ南部寄生虫対策とコミュニティ公衆衛生活動」樋口映美・貴堂嘉之・日暮美奈子編『<近代規範>の社会史』(東京:彩流社、2013), 187-207.

研究会に招待していただいたので、主催者の先生たちのお仕事を読む。せっかく頂いた機会なので高い水準の議論をしたいし、先方の研究の視点や方法論が分かっていると、こちらで準備する内容や議論の仕掛けも変わってくる。スケジュールが過密な時には、いきなり臨まなければならないが、そんなことではだめ。すべてのプレゼンテーションを大切に。そして大切にできるくらいの数のとどめること。

 

いずれも20世紀のアメリカを論じたもので、小野は優生学、平体は南部の公衆衛生を論じているが、共通する主題として、医療や公衆衛生の問題について連邦制のもとで、それぞれの州に立法の権限がある状況で何が行われたかを検討することである。小野の優生学の論文は、アメリカの「育種家協会優生学部門研究委員会」を焦点にして、平体の論文は、ロックフェラー財団の鉤虫症対策に着目し、連邦政府とは異なる組織が、いかにして州における優生学・公衆衛生の問題にアプローチしたかを分析するものである。小野は優生学の法制について論じ、平体も鉤虫症対策の州・郡水準の制度作りに着目しているので、医療の制度史・行政史と呼べる方法論である。

 

優生学については、優生学部門の委員会が各州の優生学の法を調査して、<模範断種法>と呼べるものを作り、それが各州に広まっていったことが主たる議論である。19世紀の末から精神薄弱児を中心に法的根拠のない断種・去勢手術が行われていた。自慰行為が大きな問題であった。断種すると心身が健康になると信じられていた。1907年から11年までに、各州が断種を可能にする法をつくったが、委員会の調査によると、これらの法には欠陥が多くあった。断種・去勢が懲罰に用いられたこと、個人の権利が保障されていなかったこと、執行の手段が定められていない空文的な法律であったことである。実際、この時期には、優生法が制定されたが知事が拒否権を発動して阻止したり、住民投票で否決された州もあった。そのような状況に対して、委員会は模範断種法を作り、懲罰ではなく生物学的な遺伝のみに着目すること、法的な正当性が確保される制度を作る方向を示した。州ごとの断種法は、その後も違憲判決などを受けては、委員会が模範断種法は改訂していくというパターンで発展していき、1935年には約半分の州で制定され、それまでに約2万人に断種手術を行っていた。統計としては、精神病者が最も多く、かなり差がついて精神薄弱者がそれに次ぐ。それ以外の疾患や犯罪者は断種されているが数はごく少ない。興味深いことに、当初は男性が多かったが、次第に女性が多くなり、1935年の累計の数値では、男性が43%、女性が57%である。

 

平体の公衆衛生の論文は、多くの感染症があったにもかかわらず、公衆衛生が進んでいなかった南部諸州の地方部の問題、特に鉤虫症がどのように改善に向かったかが論じられている。南部は識字率が低くて細菌説も受け入れられていなかったこと、住民と州政府が貧困であったこと、そして個人の生活に政府、特に連邦政府の介入を嫌ったため、公衆衛生の発達は遅れていた。それに対して、ロックフェラー財団は州と郡の同意を取りつつ公衆衛生を進めるという方式を取ることができた。それを通じて、もともとは個人の問題であった衛生が、南部諸州でも公衆の問題として性格を変えながら発展することができた。

 

論文はいずれも優れたもので、少なくとも私が知っている限りの日本語文献ではスタンダードなものになるだろう。