症例というエピステミック・ジャンル

Pomata, Gianna, “Sharing Cases: The Observationes in Early Modern Medicine”, Early Science and Medicine 15 (2010), 193-236.

ルネサンスから18世紀の医学テキストにおける症例の意味を検討した論文。初期近代ヨーロッパの研究者はもちろんのこと、すべての時代の医学史の研究者にとって、一切の誇張なしに、必読文献である。あまりに感心したから、来週の大学院の授業で読むことにした(笑)

 

研究者が読む過去と現在の医学テキストを分類する方法を示しているからである。研究を始めてしばらくすると、過去の医学テキストや医者が残した記録を、頭の中で漠然とタイプ分けすることができるようになる。このタイプのテキストだと何が言われそうであるかという領野わけが頭の中にできて来る。これができていないと、そのテキストに書いてあること・書いていないことの意味づけの作業が危うくなる。アラン・マクファーレンがローレンス・ストーンのFamily, Sex and Marriage の書評で記した「帳簿というジャンルの資料には、私的感情は書かれない」という批判は、歴史学者が心に刻まなければならない。帳簿をいくら読んでも私的感情の歴史は書けないし、自分が読んだ帳簿に私的感情が書いていないことは、それを書いた個人が私的感情を持っていないことを意味しない。そのためには、自分が読んでいる資料から何が期待できるのかというジャンル分けが頭の中にできていなければならない。これができる学者は的確にテキストが読む方向にぐっと近づくし、これが頭に入っていない人の解釈は、創造性がある読みになるかもしれないが、的確さを欠く。

 

このジャンル形成は、時代・地域・領域によって違うから、研究している時代や地域を変えるたびに、それを習い直すことになる。それよりも大きな問題は、個人で直観的に学ぶものであったということ、場合によっては、ほとんど意識すらせずに身についたものであるということだ。そういうあいまいな部分に明晰な構造を持ち込んだ一連の傑作を書いているのが、ポマータ先生である。

 

おそらくそれよりも重要なポイントは、医学テキストの分類とジャンル分けではなく、「エピステミックな」ジャンルだと考えたところが鍵である。言葉を換えれば、テキストの歴史ではなくて、そのテキストを書くという医者の行為の歴史となり、さらには、医者と理論、医者と伝統、医者と他の医者、医者と患者などの複合的な関係の中での医者の行為の歴史を書くことができる装置である。しかも、それを「ジャンル」という整理された素材と概念装置で書くことができて、フランスの歴史学の一部が陥った心性史や文化史のような曖昧模糊とした概念ではない。そのほかにも、このエピステミック・ジャンルという考えは、時間的な長さ、地域的な多様さ、科学、法律、文学などの他の領域との連結性など、たくさんのメリットを持っている。

 

議論のポイントも面白い。16世紀の半ばに症例を記録した書物が最初に発生する。それが17世紀から18世紀にかけて意義がある仕方で変化した。最初の記録は、ある治療法の成功例を列挙したもので、これはラテン語ではcurationes と呼ばれる。成功者を讃えると同時に自分の治療法を宣伝する態度である。しかし、17世紀になると、observationes という、治療法的には抑制が効き、病因論的には禁欲されたものに変質する。まさにヒポクラテスの流行病論第1巻・3巻のような症例になるのである。ここには、医者共同体で共有されるものという変化がある。

 

マクファーレンの書評は以下のとおり

History and Theory, Studies in the Philosophy of History, vol. xviii, no.1, 1979, pp.103-126.