権田萬治『日本探偵作家論』幻影城評論研究叢書(東京:幻影城、1975)を読む。さすが名著として評価が定まっている評論であった。探偵小説の捉え方についての洞察は深く、個々の作家や作品についての論評は大きく首肯するものであった。もちろん、私が知っている作家や作品はごく少ないけれども。
日本の戦前から戦後にかけての探偵小説は、社会的現実に背を向けた怪奇幻想、猟奇的な夢幻の世界を描くことに特徴があり、いわゆる本格的な謎解きは少ない。その理由の一つに、当時の社会における民主制の欠如を上げている。戦前日本の警察の犯罪捜査は、拷問による自白の強制が主眼であり、犯罪そのものが権力や警察によってでっち上げられることも頻繁であった。この環境は、犯人と探偵が同一平面で知的な闘争をするというトリックの謎解きに向いていない。また、別の理由として、谷崎潤一郎をはじめとする純文学の作家たちが示した人間の悪そのものに対する興味が江戸川乱歩や横溝正史といった作家に大きな影響を与えたことも指摘されている。
民主制と公正な捜査の不在が日本の探偵小説の猟奇的な発展の背後にあったという考えは、ここでは結論というよりアイデアとして指摘されているだけだが、とても面白い。 特に面白いのは、戦前の日本の探偵小説の作家の中には、医学や科学を学んだものが多かったことを合わせて考えると、戦前期日本の医学や科学が、社会に対してどのようなスタンスを取ったのかという問題を考えるときの一つのヒントになる。小酒井不木や木々高太郎は大学の教授までつとめた作家だし、横溝正史は薬剤師である。
江戸川乱歩について。大正12年から昭和4年までの初期短編においては、一作ごとに血がにじむような工夫をこらして少数の高質な作品を書いた。しかし、そこで行き詰まり、また生活の必要から、通俗長編や子供向けの作品に転換した。氏の言葉によれば半ば自暴自棄になっての転換だという。
木々高太郎について、いい言葉がある。「われわれが求めるのは風車に向かって突進するドン・キホーテであって、既に名声の確立した人物ではない。時折、氏の自信過剰が問題になったが、恐らく傲岸に見えた氏は、だれよりも謙虚であった、少なくとも探偵小説の女神に対しては」