19世紀末から20世紀初頭にかけて文明国の人々の不安の中核の一つは、退化や変質と訳される degeneration であった。疾病の原因が遺伝して悪化することで、世代を経ると個人の質が低下していきこと、個人の集合である社会や国家も、体力や能力が退化していくという思想である。医学や精神医学でいえば、イギリスのヘンリー・モーズリー、フランスのオーギュスト・モレル、イタリアのチェーザレ・ロンブローソなどを経て、ナチス=ドイツにつながるドイツの民族衛生の医学者たちを動かした一つの思想は、退化と変質の理論であった。
この理論は医学者だけが論じたのではなく、さまざまな領域で発展させられた。政策や社会評論はもちろん、文学においても重要な主題であり、その中で必ず言及されるのがイプセンの『幽霊』(1881)である。この作品は、だいぶ前にロンドンのバービカンで観たが、テキストを読むのは初めてである。
『幽霊』は『人形の家』の後に執筆された脚本で、1881年の12月末に出版・発表された。家庭の真正を真っ向から批判する内容であり、近親相姦が示唆されており、梅毒が重要な主題であったため、北欧やドイツの激情は上演を尻込みした。世界初演は1882年の5月にアメリカのシカゴで、スカンジナヴィアからの移民たちが上演したものであり、北欧での初演はそれから一年以上たってからであった。
出版後のある評論は、この戯曲をオイディプス王になぞらえている。確かに本質的な点において似た構成を持っている。どちらも、舞台の上で過去に起きた事件が明らかにされ、登場人物たちが現在陥っている罪や問題が暴かれるという特徴を持っている。オイディプス王では過去の事件というのは父親殺しであり、現在の罪は母子相姦である。『幽霊』においては、秘密の暴露はより私生活と身体の相を帯びており、明らかにされる過去の事件は父親の放縦な性生活であり、現在の問題の一つは、その父親が隠れて作った娘が成長して、それと知らぬ息子が関係を持っていることであり、もう一つは、その息子に父親から遺伝した梅毒が精神病をまさに引き起こそうとしていることである。暗く忌まわしい過去の行為によって、現在の身体・精神が内から腐食されていること(フランス語ではそれを「虫食い」vermoulu と表現したという息子のセリフがある)が主題である。そして、この背後と深層で起きていることが陰性であることを強調する仕掛けが、舞台が空々しい晴れがましさを持っていることである。すなわち、放縦な父親が世間では立派な人物と考えられており、父親の名を冠した慈善事業が開かれ、彼を記念碑によって顕彰する日に置かれているという仕掛けのために、過去の性生活と現在の身体の忌まわしさがより強調される。