16世紀の梅毒患者の自己認識

オットー・フラーケ『フッテン―ドイツのフマニスト』榎木真吉訳(東京:みすず書房、1990)

ウルリッヒ・フォン・フッテン (Ulrich von Hutten, 1488-1523)はドイツの学者・詩人・宗教改革者。医学史では、梅毒にかかって1519年に『グアイヤクノキの薬とフランス病』という著作を書き、南米原産のグヤイヤクノキ(ユソウボク)が梅毒に有効であることを示したことで有名。この薬用となる木は、フェルナンドとイザベルがアメリカから帰る船はすべてこの木を積載して帰るべしと定めたもの。グヤイヤクノキの塗擦療法は、その木を加工した薬剤を皮膚から擦り込まれ、布団をかぶせられて30日の間に20回も熱い発汗室に入れられるものであった。

 

本書は、梅毒に限らず、フッテンの人生についてまとめた書物の翻訳。ケルン大学、エルフルト大学などで学問を修めたが、おそらくライプツィヒで梅毒に罹患した。この時期の梅毒は非常に毒性が強い疾病であり、フッテンも大きな苦痛を味わった。その後に、自ら 「名もなき者」(nemo: no one を意味するラテン語)と名乗って、知人などを頼って街から街へと巡礼のように放浪するものとなった。その時に中世ドイツの詩人、ハルトマン・フォン・アウエ(Hartmann von Aue, c.1160-c.1210) の作品である「哀れなハインリッヒ」の主人公のハインリヒに自らをなぞらえたのだろうと考えられる、「哀れなハインリヒ」は、高貴な騎士のハインリヒがハンセン病に罹り、巡礼と放浪の旅に出て、サレルノで医者と出会い、また純潔の乙女の血を浴びると病気が治るという主題を扱った作品である。現在からみた疾患名は違うが、梅毒にかかった患者が、歴史的な著名な患者に自らをなぞらえた例の一つである。また、ハンセン病にも較べられるような当時の医療の基準で言うときわめて重度の疾患にかかったものが、「自分は誰でもなくなり、存在を失った」(=nemo)という姿勢を取ったことも意味している。