昭和戦前期の精神病院の間取りと空間の利用 

大竹昭子『間取りと妄想』(東京:亜紀書房、2017) を読んでみた。研究上の非常にいいインスピレーション。「帯」の堀江敏幸の言葉もとてもいい。「家の間取りは、心身の間取りに似ている。思わぬ通路があり、隠された部屋があり、不意に視界のひらける場所がある。空間を伸縮させるのは、身近な他者と少した時間の積み重ねだ。その時間が、ここではむしろ流れを絶つかのように、静かに点描されている。」 この刺激を利用して、まず、思いつくことを書いてメモして、図を作ってみた。以下は試行になります。
 
症例Aは 1933年の3月14日の12時に入院した。彼女自身が精神病院からの退院を非常に強く望んでいたことと深く関連して、精神病院の建築の構造と間取りに接触する生活であった。まず入院の段階で、症例Aは病院の間取りの境界部分に関与していたことが分かる。昼食は患者用のスペースではなくて「応接室」で食べ、その後は、病院から外界に外出するスペースである「警戒」を狙っていたと記されている。(1933.3.14)  また、彼女自身のふるまいの中に、基本的には不法監禁である可能性が高い監禁を、精神病院の外部に告発したいという志向が、いまだにゆるやかな形であるが、確かに感じられるので、自分自身の言葉を精神病院の窓辺で行う。たとえば「私は神様の大事な子供を生だ。その子供は今年一年に入学するだから私を帰らせてください」(1933.3.24) や「善人が栄えるか悪人が栄えるか。神様の子供はやっぱり神様だ。私の子供も神様に成る」(1933.3.25) 「入院の[必要]を認めない、自分の脳は[よく]なったと」(1933.4.14) というような、自分が精神病院に入院させられた理由を口にするときは、彼女は窓辺でそのセリフを口にしている。
 
彼女にとって窓は、抗議とわがままの双方が、おおやけの場に出ていくためのスペースであった。脳病院は、さまざまな意味で絶望的な空間であり、実家、婚家、医師、看護人たちの合意により、彼女が退院できる可能性はまずなかった。「[回診後は]ベッドに臥床、しゃがれ声を張り上げて怒鳴っている。看護婦の一人一人の短所をさもにくらしそうな表情してひろいあげ、自分を大切に取り扱わないと不平を云い、一人自室で怒鳴っていても物足りないらしく窓を開けて外に聞こえるようにする」(1933.11.8) に記されているのは、彼女にとって窓がどのような意味を持っていたのかを教えてくれる記録である。彼女を封じ込める仕組みが精神病院の建築であるとしたら、窓は、彼女の批判が外に出ていくスペースであった。
 
あるいは、性の問題も彼女の監禁と人格形成の双方にとって重要だったため、彼女は王子脳病院の間取りの中で男性患者たちの病棟と空間的に近い部分で行動し発言した。建築の図面だけで見てもどの空間なのか厳密には特定できないが、現存する記述にあてはまる部分としては、付図のAの空間部分が考えられる。これは、X年に新築された王子脳病院の病院の図面から概略を再構成したもので、男性患者が暮らす病棟と女性患者の病棟の接触が限定されていること、しかし女性患者の病棟のある部分においては、S字の中庭状の空間を隔てて、男性患者の病棟にむけて開かれていることがわかる。この空間が、男性患者と女性患者が空間的に最も近くなる場所であった。図1・図2では、当時の建築図から建物の図面の概要を示し、青く表示した男性患者のスペースと、ピンクで表示した女性患者のスペースが、窓を通じて接すると考えられる箇所に斜線を入れて表現した。
 
図1 王子脳病院病棟図        図2 男女別病棟の分離の概要 

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Aは、その空間に立って、窓から男性患者に向かってさまざまなことを呼びかけることを始める。最初の記録は、入院から2か月ほどたった1933年5月23日であり、「早朝より大声似て断片的な独語なし、男患者に色々呼掛けて、制すれば看護婦の悪口をやたらという」とある。同年6月10日には「男室の患者が大声で怒鳴れば共鳴して怒鳴っている。制すればその者を白眼視して悪口をいう」、7月10日には「多弁にして放歌あり。男患者の唄に合わせて踏んでいる」という。看護婦への批判は、「亢奮時には窓に昇って男室の方に向かって云っている」(1933.9.21)  1934年3月には、男性患者との「対話」は大がかりになる。しばらく興奮状態が続いていたが、ある日、「早朝より窓を開けて」Aは男の患者たちに呼びかける。「私を早く引き取ってください」と大声で叫んだ。他の患者や看護婦にも色情的な行為をしたという。「結婚ほどいいものはありませんよ」「皆さんも早く退院したら結婚しなさい」という。この言葉は、「窓辺によりそうて」大声で演説をするかのように語られた。(1934.3.2)  その数日後には、早朝より窓辺を開け放ち、大声にて怒鳴り、男室の方を向いて色情的な言語を発し、注意すれば、看護婦がヤキモチを焼いていると故意に声を高める」という。(1934.3.5)