昭和戦前期の王子脳病院の症例誌がどのようなシステムで記入されているかを考えるために、1960年代から70年代の診療記録の改革の重要な書物を読んだ。今は別の脈絡で有名な日野原重明が、40年前には医療の記録の根本について、論争と革命の書物を書いていたのかと思うと、不思議な感じがする。この書物は、おそらくアメリカで行われていることをそのまま紹介した書物だと思うが、それでも迫力があることは間違いない。
日野原重明『POS The Problem Oriented System 医療と医学教育の革新のための新しいシステム』(東京:医学書院、1973)
アメリカの医師のLawrence Weed は、1960年代に診療記録の機能の再検討を行って新しいシステムのProblem-Oriented System (POS) を提唱して実践した。日本でこれに最初に触れて紹介した医者が日野原重明である。本書冒頭に書かれているが、1969年にウィードの書物 Medical Records, Medical Education, and Patient Care を読み、ここに当時日野原がつけていた診療記録から抜け出る回答があると直感して、1970年には旧知の医師がつとめるエモリー大学の大学病院を訪れてウィードの方式を学んでいる。1973年の2月にはPOSの実施状況をみるために再びエモリー大学などアメリカの教育病院を訪れて、そこで実施のデータなどをもらって1973年に出版したのがこの書物である。
日野原はこの方式を、「患者の側に立った」記録方式だという。まだ現物を見ていないのでぴんとこない部分があるが、「多方面に開かれた医療記録」であると言える。まず、患者の問題をまとめたチャート式にして、これを複数の医者と看護婦などパラメディカルが自在に見ることができるようにする。「患者の問題点を全体像の中にとらえ、ガラス張りの中での合理的な planning の中で患者を治療する」という可視性の言葉で表現している。また、医師が記録した内容と看護婦などが記録した内容が、別々に保存されているのではなく、医師が書いたことを他の医師はもちろん、看護婦もみることができるような仕組みである。そのため、医者が個人としてが患者に与えた医療を自ら評価することができ、また他の医者によって評価されることができる。看護婦たちも同じ評価と再考の場に参加することができる。これを、「チャートは、看護婦そのほかのパラメディカルとの communication の場」と、伝達の言葉で表現されている。
この可視性と伝達の道具により、もちろん患者のための医療が進展するのだが、日野原は、これによって日本の医学の古い体制から離脱できるとも信じている。日本の医学界が従っている、医師は医師が持ったデータで、看護婦は別に得たデータをそれぞれまとめるという仕組みは、source oriented medical record と呼ばれているが、これを日野原は 「中世期的な」と呼び、別の文脈では、「大正・昭和時代からの医学のシステム」と呼んでいる。そこから離脱するための新しいシステムでもあった。日野原がオスラーの言葉から「システム」の重要性を説くものを引いていることを考えると、聖路加でも残存する戦前のシステムからの離脱の手段であると考えてよい。戦後派の医者たちが新しいものを求めて行動したというと、政治的な学生運動が参照されることが多いが、この新しい記録方式も、おそらくそのような圧力がかかっていたのではないかと推察する。