正倉院展の蜜蝋のこと

 
第69回の正倉院展。今回は地味な正倉院展で、日本史の教科書の図版に出てくるような、話題になるこの一点がなかったのかもしれない。来年はおそらく派手なアイテムがきらぼしのように並び、正倉院展としては第70回、平成も30年で最後の年になるのにふさわしいものになるのだろうか。
 
医学史家としてはとても楽しいアイテムがあった。蜜蝋、当時の云い方でいうと蝋蜜である(漢字の不正確さはゆるしてください)。これは、今年の目玉アイテムである羊木ろうけちの屏風、熊鷹ろうけちの屏風の関連で出た薬品である。はじめて出陳されたアイテムである。この屏風は、布の一部に蜜蝋を塗って、それを利用して模様を描く手法であるとのこと。その関係で塗る蜜蝋が展示されていた。手のひら前後の大きさで、厚さは1-2センチはある円盤状の蜜蝋が45点ほどだから、かなりの量である。トウヨウミツバチの巣をとかして圧搾してつくるとのこと。
 
大切なことは、この蜜蝋は薬物であったことである。中国の古代の医書にも現れるし、正倉院でも「種々薬帳」に記載されている。古代から初期近代までの医学において、薬と食品はわりと連続しているし、薬を工芸の目的に使うことには違和感がない。ただ、カタログで説明されていた話は工芸が中心で、薬としての利用についてよくわかる説明がされていなかった。また、20の円盤の中央に穴をあけてつないで一つの連にするという発想や、円盤と方形の蜜蝋があることなども、薬の移動や取引の仕方に何か洞察を与えると思うけれども、それについても説明されていなかった。このあたりの薬の取引と利用の話、医学史の研究者として私が苦手にしている領域なので、どなたか、説明できる方がいれば。
 
正倉院の時代はもちろん華やかな時代だが、国民は日本史のうえでも有数の新規の疾病に痛めつけられていた時代でもあった。東大寺の大仏も国分寺の建設も、「天平天然痘」と呼んでいる、日本で最初の確言できる天然痘から国家と人々を守ることが大きな影響を持っている。そこで出てきた薬と工芸の話は、新しい話がでてくる可能性が感じられた。
 
余分な話を。東大寺の荘園で「糞置村」の地図が展示されていた。これは越後の国に「糞置荘」として実在するとのこと。2006年の新聞記事に少し詳しい記事があった。