<信濃町往来>と実験動物のパノプティコン

 
2017年12月9日から2018年3月31日まで、慶應義塾大学にて建築写真展と貴重書の展示が開催されている。貴重書は医学部図書館(北里記念医学図書館)の一階ロビーと二階ホワイエ。一階では医学部が所蔵する解体新書と杉田玄白関連の貴重書と手稿が数点、二階では1923年から1963年までの卒業アルバムが合計6点展示され、慶應医学部のキャンパスの様子のページがわかるようになっている。また、山村耕花《腑分》(1927)も展示されている。解剖の作業がかなり進行して、散乱の二歩手前くらいまでの状態になっている死体があり、その向こうで外国人から日本人が解剖を学ぶ様子が描かれているのだろうと思う。その外国人はシーボルトだろうか。
 
卒業アルバムも私には興味深かった。1945年5月の東京大空襲の前の慶應医学部を頭に描こうとしたが、今の信濃町の駅に向かった部分に入口がある構造とは少し違っているのだろうと思う。どこに何があるのか、私にはよく分からなかった。現存している建物は二つ。一つが医学部図書館、もう一つが予防医学校舎である。ちなみに、後者はロックフェラー財団の寄附を受けたとのことで、建築の外側も内側も趣が深い優れたものであった。最上階に宮島幹之助の胸像が置いてあった。
 
一番充実した展示は<信濃町往来>という、慶應の医学部の建物などの写真展である。これをやっている場所は、 総合医科学研究棟(エントランスおよびラウンジ)という、できたばかりで私たちにはまだなじみがない建物である。信濃町の駅を降りて、北里記念医学図書館、予防医学校舎と通ったあたりにある道の向かい側の新築の建物である。エントランスのガラスのパネルに巨大な写真がたくさん張ってあるのでわかると思う。それに足して、サロンでも展示されており、こちらは小さな写真がたくさん張られている。それらの写真の説明などが書いてある充実した小冊子は、サロンに置いてある。よく分からない場合には、医学図書館の受けつけで写真展のパンフレットがないかと聞くと、いただくことができました(笑) 図書館員が<そのパンフレットを本当にたくさんもらってしまったので>と困惑した表情で語っておられたので、もしかしたら、喜ばれるかもしれない。
 
写真はおそらく写真を本格的に学んだ方が撮られたもので、記念写真的なものではなく、大学医学部の様子を鋭く切り取るものが多い。印象的なことは、医学の進歩が取り残した施設である。慶應医学部は同一の場所で100年間継続したので、作られた当時は先端的だったが、次第に使わなくなった施設というのが出てくる。建物としては、図書館と予防医学で、大部分が取り壊されてしまったらしいが、その取り壊す前に撮影した写真である。ある写真は、廃墟と化した講義の教室のようになっている。特に面白かったのが実験動物を飼う犬舎であった。円形の建物で犬の収容檻が中心に向かって扉が開くという不思議な構造で、実験動物のパノプティコンのようなありさまが呈している。この実験棟物や犬を収容するパノプティコン状の建物に収容する建物は、戦前には建てられており、きっと生理学教授の林髞(はやし たかし)が、パブロフのものから学んで導入したのだろうかなどと想像している。林は、木々高太郎(きぎ たかたろう)の筆名で推理小説を数多く書いており、医学的な主題もよく盛り込まれている。パノプティコン型の犬舎の写真もみつかって、林が書いたものはたくさんあり、推理小説もあるということで、論文の主題に最適ですよ。みなさん、そのような論文をお書きなさいませ(笑)