VISA カードの会員誌の仙台の紹介記事に「魯迅の階段教室」が掲載されていた。これは「藤野先生」にも登場する有名な仙台医学校の医学教室で、魯迅が1年と少し仙台で医学を学んだ時の印象的な教室。上下の窓を階段状の床にあわせて設けた外観で、窓が次第に下がっているような不思議な外観になっている。そこで日露戦争の幻灯が写され、そこに中国の青年の処刑の様子と、それに日本の学生が歓声をあげる様子に魯迅がショックを受けて、医学を諦めて文学を志したという有名なエピソードがある。魯迅が記すこのエピソードが実際に医学校の教室で起きたことかどうかについては、いまだそれを確実に示す証拠は見つかっていない。
ついでに言うと、慶應の信濃町の医学部でも、いま古い建物の写真展を行っている。信濃町はいま最先端の機器を備えた建物が続々と立っているが、戦前の旧い建物が二つほどある。図書館である北里医学図書館の建物が誰にも好かれているが、なにせ現用の図書館で、ばりばりと使われている空間だから、人にみせることはちょっと難しい。その建物の一部を見ることができる企画を含めて、3月まで慶應医学部の建築の写真展が開催されているので、ぜひどうぞ。