藤浪剛一という医学教授の教育方法

藤浪先生の想ひ出. 加藤都志雄, 1946. 都志雄 加藤.
 
藤浪剛一(ふじなみ・こういち, 1880-1942) は慶應医学部のレントゲン科長で理学診療科の教授。レントゲンに関する多くの仕事があるだけでなく、医学史関係の仕事も非常に多い。これもウィーンに留学し、医学史研究が興隆しているヨーロッパの空気を吸っていたからだと思う。『東西沐浴史話』(1931)は温泉の話であり、『医家先哲肖像集』(1936) は上質な紙に印刷された優れた肖像画集であるし、『東京掃苔録』は東京の寺の墓を医者を中心として収集した貴重なものである。他にも優れた本をたくさん出しているので、時間があったら読んでみたいと思う。
 
その一つに、藤浪が慶應でレントゲン科を教えた加藤都志雄という弟子が描いている『藤浪先生の想ひ出』という書物がある。先日信濃町から取り寄せて読んでみた。当時の大学教授たちが教育などのために作り上げた大系がよくわかる。というか、私としては初めてそれを感じることができた。良い意味でも悪い意味でも違う時代の教育法である。
 
加藤という医者は、言ってみれば実業家であり、彼自身が医師であるだけでなく、多くの実業にかかわっている。自動車を買って運転するのは大好きだし、藤浪には二回も破門される。孔子の弟子でいうと子路を思い出させる熱烈漢である。彼が描いた藤浪の姿はとても面白かった。