死と精神病院

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JSTOR で出会ったアルツハイマー患者が何を憶えているかに関する論文。とてもよかったです。

 

精神病院における患者の死亡や、死亡にいたる過程は、これまで注目されなかった大きな現象である。これまでは、あまり取り上げられていないか、否定的に捉えられてきたと考えられている。死そのものはもちろん、死亡にいたる過程も、患者の精神や意識や人格に、喪失が起き、短期で記憶などが崩壊し、支離滅裂になり、そして改善しない状態、すなわち「生存している死」に移行するような状態だと前提されてきた。
 
精神病院における死は、1920年代から40年代までの東京の代用精神病院において、大きな意味を持ち続けている。長期滞在の患者の多くに関しては、医者たちと看護人たちの対応がかなり異なる。医者の病床日誌への記入は急激に大幅に減少する。多くの場合、毎日ゴム印が押されている現象となる。それに対して、看護人たちの看護日誌への記入は、たしかに減少するが、長期間継続される。長期にわたって病床に大きな変化がなくなった場合でも、看護日誌のページの冒頭に当時の状況を書き、それから2週間ほど「変化なし」と書き、次のページの冒頭に当時の状況を書き、それから2週間ほど「変化なし」と記入する。2週間に一回くらいは、看護人たちが、患者はどのような状況なのかということを観察することが重要なポイントである。
 
この記入は非常に多様であり、患者の行動をできるだけとらえようとしている。診断から予想される状況に従うというよりも、
 
Our research increasingly shows that, rather than attempting to bring dementia patients into the present, we must learn to visit the past – which is their present – to understand the memories and events that define the person at this moment in time. Inherent to this approach is understanding the idiosyncrasies of the person you are caring for, interpreting the behaviours that might appear challenging as an unmet need, and resolving some of the discontinuity between individuals and their current surroundings – not a trivial undertaking for care workers who are often overworked and time-poor.