女性と衛生―短いスカートと梅毒

イデアのメモ。ベースは以下の二つの文献。

 

Tomes, Nancy, The Gospel of Germs: Men, Women, and the Microbe in American Life (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1998), pp.157-182.

黒柳徹子飯沢匡いわさきちひろ―知られざる愛の生涯』(東京:講談社、1999).

 

近代の医学の中でも、衛生学は人々の生活と密接にかかわる度合いが高かった。そのかかわりは、公共の領域と私的な領域の双方にわたるものであった。前者においては、外国との貿易における検疫、感染症患者の隔離検疫、上水道や下水道の整備などの、国内と国際の政治と経済の問題であった。こちらが19世紀末から20世紀の初頭においては主として男性の領域であったのに対し、私的な領域における衛生学は、女性の領域と重なった。衛生学は家庭における女性が主としてかかわる仕事に大きな影響を与えた。食品、調理、掃除、洗濯、家具の選択、冷蔵庫や洗濯機の購入、バスルーム用品の選択にいたるまで、多くの家事に関連する仕事が衛生学の影響を受けた。

 女性たちは衛生学の中に取り込まれたと同時に、これを利用して力を得ることも行った。<取り込まれた部分について実例> 

 一方で、衛生学を利用して女性たちは旧弊から解放される方向にも進んだ。たとえば1890年代末にNYの女性たちは雨の日には短いスカートをはいて外出するという運動を始めた(ここで短いスカートと言うのはくるぶし丈のスカートだから、確かにヴィクトリア時代のスカートに較べると短いが、現代の感覚からいうと大分長い丈である)。彼女たちが短い丈のスカートをはいた理由は、古い様式の丈の長いスカートだと、地面からはねとばされて付着した泥から細菌が感染するからである。この短いスカートは議論の対象となり、雑誌には「旧式の女性」を名乗る女性から、若い女性が衛生学と称して礼儀をわきまえない格好をしているという苦情が寄せられている。しかし、NYCの衛生的な短いスカート運動は女性たちに支えられ、各地の都市に拡大した。女性が衛生学という新しい科学の権威を通じて、自らの身体の公的なあり方について発言し行動できるようになったのである。

 衛生学という権威を得た女性は、男性たち、場合によっては夫とも対決することができるようになった。ここで特に問題になったのは梅毒をめぐる力学であった。結婚している妻が梅毒に罹患する一般的な経路は、夫が売春婦から感染したのちに妻と性交すると、妻が梅毒に罹患するというものである。国家の公的な政策としては、売春婦の梅毒検査をして、夫の売春を安全なものにすることであった。しかし、その仕組みを妻の側から見ると、常に夫からの感染の危険にさらされていることであった。実際に、売春婦から夫を介して梅毒に感染した女性は数多く、作家のカレン・ブリクセンはその主題を自伝的な作品の中で語っている。<他の実例> 日本においても、戦後に絵本作家として空前の成功をおさめることとなるいわさきちひろは、1940年に結婚した第一の夫が売春の結果梅毒に感染していたことを知り、決して夫と床を共にせず、夫の梅毒を激しく糾弾したという。それとどう関係があるのか詳細は分からないが、夫は翌年には自殺した。