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サミュエル・ガース『薬局』(西山徹編訳)書評

サミュエル・ガース『薬局』を『日本医史学雑誌』61巻(2015), 2号, 218-220. に書評しました。PDFなどは少々お待ちください。多少の変更はありますが、原稿はこちらです。

 

17世紀後半のロンドンにおける医師と薬剤師の対立をめぐる重要な作品で、英語としては大学図書館が普通に所蔵しているのですが、この作品を英語ですらすらと読んで理解するのは、私も含めて日本の医学史研究者のほとんどにとって正直無理だと思いますし、あるいは英語圏の医学史研究者にとっても、かなり荷が重いテキストではないかと思います。その作品が日本語に翻訳され、素晴らしい註と解説がついたのは、もちろん英文学研究の素晴らしい業績ですが、日本の医学史研究にとっても大きな恩恵です。訳者の先生方にお礼を申し上げます。

 

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サミュエル・ガース『薬局 17世紀末ロンドン医師薬剤師大戦争』西山徹編訳、高谷修・服部典之・福本宰之訳、岡照雄序文(東京:音羽書房鶴見書店、2014).

 

鈴木晃仁(慶應義塾大学

 

 現在の欧米の医学史研究において主流となっているのは、医学系と人文社会系の双方の学問の視点を組み合わせて1980年代から発展した<新しい医学史>である。研究の領域としてまず確立されたのは、当時の人文社会系の学問で注目されていたジェンダー、差別、エスニシティ、医療倫理などと直接的に関係する主題であり、具体的には、出産、看護、精神医療、帝国医療、患者の視点などであった。この流れの中で、薬に関連する主題が大きく取り上げられるのはやや遅れた。1993年にバイナムとポーターが編集・刊行した『必携医学史百科事典』においては、薬学の歴史を扱った章は、薬効と薬理学を軸にした古いスタイルの記述であるし、1996年にラウドンが編集した『西洋医学図説史』では、そもそも薬の歴史を論じる独立した章がない。日本の東大駒場の科学史系の研究者を軸とする医学史研究においても事情は変わらず、2002年に廣野・市野川・林が編んだ『生命科学の近現代史』では、人種、優生学生態学、性科学、フェミニズムなどの主題については独立した章があてられているが、薬の歴史に関する記述は章としては存在せず、索引にもほとんど登場しない。[1]

 しかし、薬の歴史の研究は、個々の側面についてみれば明確に充実してきた。もともと研究の蓄積があった社会経済史系の医学史では、薬草の栽培や、国際商品としての薬に着目した優れた研究が世に問われ、文化史の方法を用いた医学史では、薬の広告などに注目した物質文明と消費社会の視点からの研究が行われている。[2]イギリスの薬剤師については、18世紀には外科医術と組み合わされて一般医(General Practitioner)の原型となり、中世の内科・外科・薬剤師という三つの別の職業の体制から、19世紀の「医師」という一つの職業が現れるダイナミクスの鍵を握ったという重要な議論がされている。[3]これらの多様な研究を通じて、薬や薬学を主題にした新しい医学史の領域が確立へと向かっている。

 このような国際的な研究状況において、本書が日本で刊行されたことは非常に意義深い。本書は、17世紀末のイギリス・ロンドンの内科医と薬剤師の対立と闘争をめぐる重要な一次資料であり、内科医で文人のサミュエル・ガース (Samuel Garth, 1661-1719) が1699年に出版し、人気を博して1714年までに7版を重ねた詩作The Dispensary の翻訳である。文学史でいうと、英雄詩の文体で同時代の人物や事件を風刺する「疑似英雄詩」と呼ばれるジャンルに属する。ホメーロスの『イーリアス』と『オデュッセイア』などの叙事詩に範をとり、英雄の偉業が謳われる時に用いられる文体が、同時代の相対的に卑小で取るに足らない事件を描くのに意図的に用いられ、大仰な文体や誇張した修辞との落差が滑稽を作り出すことを狙ったジャンルである。トロイで戦う英雄たちが美しい鎧兜に身を固め、壮麗な盾を手にして槍で突き合う描写が滑稽に変形され、内科医や薬剤師たちが便器を頭にかぶり、盾の絵柄には放血治療用のヒルが痔の血を吸う場面が描かれ、浣腸器や尿瓶を手に携えて闘うと描かれているといえば、この作品の文学としての面白さが多少は伝わるだろうか。

作品の主題は、17世紀末のロンドンにおける内科医(physician)と薬剤師(apothecary)の対立、そして内科医たちの内部での対立である。王立内科医協会(Royal College of Physicians)は、1518年に国王ヘンリー8世の勅許により成立し、17世紀半ばのイギリス革命と王政復古における王権の衰退と復活にともなってその権限も低下し伸長した。協会のもともとの主たる権限の一つは、ロンドン市内およびその周辺の地域における医療の規制であり、同地で医療を行う資格を大学で医学博士号を取得したものに与え、その資格を持たないものが医療を行った場合に訴追し処罰することであった。この権限を通じて多様なタイプの無資格の医療者が規制され、民間呪術医療者やまったくの偽医者も含んでいたが、最も重要な対象は薬剤師たちであった。薬剤師は、制度的・理論的には、内科医が処方した薬を患者に売る職業であったが、17世紀のロンドンの薬剤師たちはこの分業システムを批判し、ついには1704年の「ローズの判例」によって、内科医の処方なしに患者に薬を売る権限を事実上獲得することになる。本作品は、内科医と薬剤師が激しく対立しながら医療の基本の体制が変動する状況の中で書かれた時事的な詩作である。

この変動は、近代的な社会と、それにふさわしい医療の体制が並行して作られる過程であり、チャールズ・ウェブスターとハロルド・クックの古典的な研究がその意義を明らかにしている。[4] 社会と医療の近代性といったときに、政治、経済、科学思想、そして公共圏の4つの側面が考えられる。政治的には、王権と議会の権力をどう調整するかという問題と、内科医と薬剤師などの権限をどう折り合わせるかが重要であった。王権は王立内科医協会に医療を規制する権限を与え、イギリスが革命の中で模索した王権の位置づけは医療の体制に大きな影響をもった。経済的には、17世紀のロンドンは、人々が医療サービスを購入して対価を払うというモデル、すなわち医療の<市場モデル>が成立した時期であった。この拡大した市場に参入したさまざまなタイプの医療者を規制することが王立内科医協会の目標であったが、それよりも重要な問いは、王立内科医協会の立場が、市場モデルにふさわしいものかどうかであった。総じていえば、王立内科医協会の内科医たちが従っていたモデルは、侍医として仕える王や貴族などの社会の上流層の個人の生活を、自然の理解と古典医学の教養を通じて改善する<牧者モデル>であり、市場モデルに基づく新たな医療の需要を軸とした考えとはむしろ対立していた。[5]思想的には、王立内科医協会にとって正統であったガレノスを軸とする古代の医学・哲学がその権威を失っていく時期であった。パラケルススやファン・ヘルモントの化学的な自然哲学が古代の哲学の権威に挑戦し、血液循環を発見したハーヴェイが大きな影響力を持ち(ハーヴェイは本書にも登場する)、ベーコン、ボイル、ニュートンらが観察と実験に基づく新しい自然哲学の内容と方法を作り出していた時期であった。その時期に、経験によって特定の病気の治療法を見つけたという経験主義に基礎を置くパラダイムが、薬剤師だけでなく内科医たちの中にも支持者を増やし、内科医協会は医学と医療の基本原理をめぐって分裂し、著者のガースの言葉をつかうと「我々の宿敵が身内にいるような事態」を作り出していた。そして最後に、この時期は、医療が議論されるべき公共圏が成立したという重要な時代であった。出版の普及、新聞・雑誌の普及、そして議論の場としての「コーヒーハウス」の成立を通じて、医療に関するさまざまな議論が、内科医と薬剤師にかぎらず、他の人々を「公衆」としてまきこんだ言説空間の中で決されるべきであるという規範が現れた。この状況のため、内科医も薬剤師も、自らの意見や立場を出版して公にして論争をしたのである。本書は、そのような公共圏で議論された医療についての一つの論説であるといってよい。ガースが、公共圏のシンボルであったコーヒーハウスで患者を診療したことも、当時の医療の構造が近代社会のそれに変化していることを象徴するものである。

 日本語への翻訳には、詩の本文よりも長い詳細な学術的な註と解説が付され、理解を助けるために88点の図版も添えられている。この作品は膨大な註がなければ理解することが難しい内容であり、17世紀末のロンドンの政治と医療の世界において重要であった多くの個人についての情報と、それを微に入り細を穿って風刺する古典文学の修辞の主題の解説があって、はじめて非専門家が読めるテキストである。この重要なテキストが英文学者たちによって日本語に訳され、多くの日本の医学史の研究者たちにとってぐっと身近になった。このことは、医学と人文社会の双方の領域にまたがる新しい医学史の風が、現代の日本にも吹いていることの証なのだろう。

 

 

 

 

[1] W.F. Bynum and Roy Porter eds., Companion Encyclopedia of the History of Medicine (London: Routledge, 1993); Irvine Loudon ed. Western Medicine: An Illustrated History (Oxford: Oxford University Press, 1997); 廣野喜幸・市野川容孝・林真理編『生命科学の近現代史』(東京:勁草書房、2002).

[2] Mark Honigsbaum, The Fever Trail: In Search of the Cure for Malaria (London: Macmillan, 2001); Clifford M.Foust, Rhubarb: The Wondrous Drug (Princeton: Princeton University Press, 1992); Rima Apple, Vitamania: Vitamins in American Culture (Brunswick: Rutgers University Press, 1996).

[3] Irvine Loudon, Medical Care and the General Practitioner 1750-1850 (Oxford: Clarendon Press, 1986).

[4] Charles Webster, The Great Instauration: Science, Medicine and Reform 1626-1660 (London: Duckworth, 1975); Harold Cook, The Decline of the Old Medical Regime in Stuart London (Ithaca: Cornell University Press, 1986).

[5] Harold J Cook, ‘The New Philosophy and Medicine in Seventeenth-Century England’, in David C. Lindberg and Robert S. Westman eds., Reappraisals of the Scientific Revolution (Cambridge: Cambridge U.P., 1990), 397-436.