19-20世紀のフランスの医学アカデミーについての研究書を読む。文献は、Weisz, George, Medical Mandarins: the French Academy of Medicine in the Nineteenth Century and Early Twentieth Centuries (Oxford: Oxford University Press, 1995)
著者は、私が大学院生のときに新しい医学史の論文を矢継ぎ早に発表していた学者で、優れたリサーチに基づいて、医学史の可能性を広げた著者である。フランスの医学アカデミーが、たとえば偉大な医者の「記憶」を形成して歴史を形成したこと、水治療法の基礎科学に積極的に介入して治療法の進展を科学的な関心にあわせてコントロールしたことなど、「記憶」の問題や「社会構築主義」の問題にあわせて医学史の論文を書くにはどうしたらいいかということを具体的に教えられた。フランスのアカデミー自体にはそれほど興味があるわけではないので、この書物もアカデミーそのものの位置づけは読んでいなかったのだけれども、今回、必要があってその部分を読んだ。
アカデミーが設立されたのは復古王政期の1820年である。これは、旧体制下から連綿と100年近くにわたって続く、医療のコントロールをめぐる権力争いの終点であった。旧体制下においては、医療を規制する権力は、王立医師協会や外科医協会などのコーポレーションが担っていたが、国民の健康を問題にするという重商主義的な見地から、国家が介入しようとする動きを見せていた。フランス革命は、フランスの行政構造の大掛かりで根本的な再編成をもたらし、この動きの中で医学教育や公衆衛生などの新しい仕事が定義され、それを監督する主体をめぐる争いが、政府とパリのエリート医師たち(彼らはパリの医学部の教授を中心にしていた)とその批判者を巻き込んで行われた。医学アカデミーは医学教育や公衆衛生に加え、薬物の認可や免許など、フランス医学のあらゆる側面にわたって権限を有することになったものであり、医学エリートを医学行政の中に組み込む組織であった。