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昭和戦前期の医療の危機とその解決法について

諸岡存・島影盟『医道革新論―医療制度と医療費を中心に』(東京:大東出版社、1937)

 

諸岡存(もろおか・たもつ)は医師で九州大学の精神科の助教授であった。夢野久作が『ドグラ・マグラ』の準備のために、九大の精神科を訪れては精神病について学んでいたときに、夢野とも親交があったと思われる。諸岡は、九大精神科の教授の榊保三郎の退職にともなって昭和2年に九大を退職し、東京に移住して駒澤大学で教鞭を執った。精神科の医師としてはジェームズ坂病院で診療を行った。調べていないが、高村智恵子を診療したと思われる。盛んに評論活動を行い、茶の効用については高水準の研究と著作を行っている。

 

島影盟(しまかげ・ちかい)は詳細不明。戦前から戦後にかけて、数多くの宗教関連の書物を出版している。

 

本書は島影による300ページほどの昭和戦前期の宗教と医療の関係についての論考に、諸岡が「序」を書いたものである。島影の論考は後から読む。諸岡の「序」が、当時の日本の医療の問題と改革について興味深い論点をいくつも挙げているので、それをメモ。

 

大衆、特に農村の大衆が医療費を出せなくなって、医師は農村を去って都会に移った。そのため、医者に対する世人の批判が高まり、医師は罵言嘲笑の対象になっている。「現在くらい、医者の信用の落ちた時代は未だかつてないだろうと思われる」という。それに乗じたのが邪教と類似医療の興隆である。

 

医師の不信任の原因は、西洋医学がもとであることである。西洋医術は立派であるにしても、そこには西洋の倫理思想が混在し、彼らの個人主義と営利主義があるのである。特に日本の医学は、ドイツ、特にドイツ系統のユダヤ人の極端な鋭利思想に支配され、物質万能主義に置かされている。これではいけない。東洋の医の思想は「医は仁術」である。ここでは医療は営業ではない。そして、一般大衆は、これを非常に有り難がって、医者たちに過大な要求をしている。半知半解の誇大な広告や宣伝のために、皮相な偏った医学知識が一般素人の間に広がるにつて、民衆が在来慣用の療養生活を放棄して、患者のほうから医師にむかって治療や処方を命ずるという奇妙なことが起き、また医者のほうでもそれに対応する必要がある。特に現在のように、医師が住みなれない知人の少ないところで開業すると、宣伝が必要になり、誇大な広告で患者を引きつけようとするようになる。

 

このように、問題は制度的・構造的なものなのである。島影の論文を読むと、世間がいかに医師を信用していないかを改めて知って驚く。これを解決するためには、医療が自由市場に任せられている現在の状況を変えなければならない。医療の転職は営業ではなく人命救護であり、市町村は医者の生活を保障してできれば公費で医師を教育しなければならない。医師が過大な設備をそなえて、それを患者への診療費から賄おうとする現在の悪癖は抑えられなければならない。「西洋流に医者をどしどしつくる。しかもこの夥しい多数の医者を自由競争、自然淘汰に委ね、自滅に任すということは、国家の不経済はもとより、医者患者双方の不幸もこのうえない」。陸海軍の士官学校のように、必要の人材だけ選んで教育し、卒業した以上、生活の保護を受けて、献身的に国家に奉公することが合理的である。現在の医学教育は、まるで民間の投資事業と異ならない。息子のために巨額の学費を投じる親は将来の利益のために資本投入しているのである。「医業は個人の営利事業ではない。国家に必要欠くべからざる制度である。ゆえにわれらは確固不抜の指導原理によって、これが実現を計らなくてはならぬ」。