19世紀後半のアメリカのテクノロジーと資本主義

 
エコノミストの書評より。19世紀後半のアメリカ社会について。南北戦争勝利した北部が、南部の保守的な理念を打ち破って、個人の自由と平等主義の理念を打ち立てると同時に、これが資本主義の帝国へと移行していく時期を描いた書物の書評。書物も素晴らしいのだろうし、書評も素晴らしいのだろう。 Kindle で2500円くらいの書物を買った。私にとっては、このようにアメリカ史の基本的な書物を読むことが、本気で必要な状態になっている。次の大きな仕事は、20世紀前半の東京の精神医療を分析した書物を書くことである。もちろん日本の大学医学はドイツから学んでいたが、私が見ている精神病院の院長は、いろいろな意味でアメリカの影響が強い。留学もアメリカだったし、アメリカ由来の精神分析にかなり力を注いでいた。
 
そのようなテクニカルな問題だけでなく、さまざまな意味で私立病院に大きく依存しながら成長していた日本の精神医療の姿を検討するときに、アメリカのパターンを知っておくべきである。日本の精神病院は、1940年の数字でいうと、公立精神病院が全国で7つ。私立精神病院は150。治療費などを府県と国が負担してくれる「公費患者」のうち、本物の公立精神病院に滞在したのはわずか2割で、残りの8割は私立が公立病院の「代用」をするとみなされる病床であった。公費患者の8割は、診療した医師も看護した看護人も病院の建物もすべて私立病院に在院していたのである。この公立の概念と私立の概念の結合の仕方、手元にある史料で、何とか分析できる。一方で、私立の患者を引き寄せたとても大きなツールは、インシュリン療法や電気痙攣療法などの、技術的に洗練された商品であった。この部分は、ばっちり分析できる。資本主義と技術の結びつき、そしてそれがどのようにして公費の精神医療と関連していたのかを調べることが必要である。そこで、アメリカの資本主義の発展も学んでおかないといけない。Medicine Line とは何だろうと本気で調べているようではいかんです(笑) 

鮭の燻製を食べるために BASIC を習ったウンベルト・エーコ

www.theparisreview.org

 

Kafiristan - Wikipedia

 

週末の朝だから、午前中は少しゆっくりする。庭仕事をして、ウェブでどうでもいいことを知識として仕入れて、読まなくてもいい本を読む。今日は、アフガニスタンの一地方であるヌリスタン Nuristan で、かつては カフィリスタン Kafiristan と呼ばれていた地方について調べる。デンマークコペンハーゲンのアフリカン・アートのギャラリーから、このアフガニスタンのヌリスタン地域についての講演があるというウェブ上の招待状が来た。もちろん行かないけれども、いつもと違う不思議な玉突きに乗ってみた。

Kafiri というのは、「無信仰者」という意味で、これは当時の文脈だと、イスラム教を信じていないという意味であった。その地域に住む人々は、古いヒンドゥー教を信じており、大いに独立心があった人々であった。キプリングの短編「王になろうとした男」もここを舞台として設定されている。この短編が含まれている作品集がKindle で200円だったから買って読んでみた。インドという巨大で複雑な現象に巻き込まれた二人の男が、カフィリスタンに行って王になる話。面白かった。生き残って帰って来た一人は、最後に精神病院で死ぬ。

19世紀の末に、このヒンドゥー教の地域に、イスラム教徒たちが侵入して、彼らの宗教を徹底的に破壊し、聖職者たちを皆殺しにしたとのこと。それを祝して、ヌリスタン「啓かれたもの」と名前を変えた地域である。ヒンドゥー時代の遺跡や優れたアート作品は、多少は残っている。ただ、これはかなり最近だと思うが、博物館に入っていたものが、タリバンに再び破壊されたが、復興されたという。

ウィキペディアに、ウンベルト・エーコがこの地域の言葉にちょっと触れているという、どうでもいい無駄な知識が書いてあり、リンクされていたのでその記事を読んだら、これが面白かった。国際化されてダイバーシティな高級ホテルに泊まったエーコが繰り出す面白い話。ご一読くださいませ。

Medicine Line アメリカ―カナダ国境の北緯49度線の別称 

49th parallel north - Wikipedia

無知の告白(笑)学術雑誌の目次をみていて、Medicine Line という言葉が出てきて、意味が分からなかったのでネットで調べた。

おそらく19世紀にアメリカと現在のカナダの間で北緯49度線が国境となったとき、現地の先住民とアメリカ軍が衝突したとき、先住民軍が49度線を越えてカナダ領に入るとアメリカ軍は負ってこない。そのため、先住民は、アメリカ軍をはじき返す不思議な力があるとして 49度線をMedicine Line と読んだとのこと。

悪い奴らが来ないようにするのが Medicine という、悪魔祓い風の発想を憶えておこう。

731部隊(NHKスペシャル)について+日本の大学医学部の学用患者の問題

 
NHKスペシャル731部隊の特集「731部隊の真実 ーエリート医学者と人体実験ー」がYouTube 上に落ちていたので、喜んでそれを観た。ツィッターやFBで高い評価を聴いていたが、その通りの素晴らしい番組だと思う。NHKがこの水準の番組を作れるまでには、1980年代からの地道で着実な学術的な研究の蓄積があり、常石敬一先生、松村高夫先生、解学詩先生などの業績のたまものである。また、1980年代の小説家の森村誠一や2000年代のジャーナリストの青木冨貴子などの著作も大いに貢献していると思う。また、実際の音声を聴いたり、実際の文書を観たりするのは、大いによかった。
 
主たる主張は、国内の大学が果たした役割と重要性を主張するものである。これまで731部隊の隊長であった石井四郎の積極的な人材探しが強調されてきたが、それと並行して、石井に人材を供給した国内の大学側にも着目する流れである。京大や東大のエリート教授たちが、自分の研究室の卒業生やメンバーたちを731部隊に技師として就職させて、適切な研究ができるポストを与え、その部下が研究費とさらなるポストの可能性を確保することの重要性を重視した主張である。石井による「引き」だけでなく、エリート教授による「押し」もあったという議論だろう。私は普通に受け入れることができる主張である。
 
もう一つ、最後のほうで言及されていた、戦時に反抗する民族やグループに対する敵意が高まり、医師たちもそれに同調して残虐なことをしたということは、面白い議論である。憶えておこう。ただ、これに関して学者として言うと、それなら、国内の大学の日本人の患者、ことに「学用患者」と呼ばれた患者に対する実験的な医療はどうだったのかという問題を調べなければならない。学用患者というのは、大学医学部で無料で治療を受ける貧しい人々で、彼らは当時の先端的な医療に関して治療費を払わなくていい代わりに、死体の提供や実験的な治療への協力などが義務付けられていた。国内のエリート大学の医学部から731部隊に行った医師たちとしては、国内では学用患者、731部隊においてはマルタと呼ばれた匪賊や政治犯というマテリアルがあったのである。というか、国内の学用患者ではできないことを実践できるマルタを集めて提供することが、731部隊を作るときの石井のそもそもの目標の一つであったと私は認識している。国内の大学と731部隊では、生体実験ができる患者は並行して存在していたということを見落としてならない。
 
学用患者の死体の提供に関しては、新村先生が良い本を書いたが、その書物では、患者の生存中の医療への「協力」に関しては、何も述べられていない。この国内の学用患者と対比して、731部隊の「匪賊」の生体への取り扱いを考えるべきだろうと私は思う。 
 
 
新村, 拓. 近代日本の医療と患者 : 学用患者の誕生. 法政大学出版局, 2016.

フィルヒョー全集が刊行中

Olms - Weidmann: Fachverlag für Geisteswissenschaften

 

ドイツのオルムズ社から刊行中のルドルフ・フィルヒョーの全集。全71巻で、うち半数を刊行済み。全体は5部にわかれ、1. 医学、2.政治、3.人類学・民族学・原始史、4.書簡、5.フィルヒョー研究からなる。 Cinii でみたら、日本の大学でこれを購入しているのは4つのみ。医学史、科学史、政治史、日独関係史、生命倫理学、医療人文学など、さまざまな領域において、必須の全集となります。ぜひ大学図書館などでお買い求めのほどを!

英語ワークショップの開催(9月8日)

以下のようなワークショップを開催します。私の研究室にかかわる若手の学者たちが英語で発表するワークショップです。もう5年くらい続けていて、「この世界をつくる構造」の一つになってきました。

 

Work in Progress: Young Scholars' Workshop in English 

 

Friday, 8 September, 2017

慶應義塾大学日吉キャンパス

来往舎2階 小会議室

 

10:30-11:20: Sayaka Mihara (Ph.D. Student, Department of Sociology, Graduate School of Human Relations, Keio University), “‘Little citizens’ in sickness: Under-five morbidity and health care seeking in prewar Japan.”

 

11:30-12:20: Ryan Moran, Ph.D. (SSRC/JSPS Postdoctoral Fellow, Humanities and Social Science, Keio University), “Securing the Family in Times of Trouble: Life Insurance, Rural Revitalization, and New Communal Life in Colonial Korea.”

 

12:20-13:30: LUNCH BREAK

 

13:30-14:20: Akiko Kawasaki, Ph.D. (Associate Professor, Department of English and American Literature, Faculty of Letters, Komazawa University), “Sharing Death: Fainting in Charles Dickens’s A Tale of Two Cities.

 

14:30-15:20: Noriko Ohshima (Ph.D. Student, Department of English and American Literature, Graduate School of Letters, Keio University), “Martial Tulip and Prison-like house: Stoic Retirement in Marvell's Upon Appleton House.

 

15:30-16:20: Shi Lin Loh, Ph.D. (D. Kim Foundation Postdoctoral Fellow, Visiting Scholar, Keio University), "Notes on the Introduction of Nuclear Medicine in Postwar Japan".

 

16:30-17:20: Maika Nakao, Ph.D. (Senior Researcher, Kinugasa Research Organization, Ritsumeikan University), “Radiation in Film: Science and Politics of Radiation Exposure in The World is Terrified.”

セルボーンの自然誌

White, Gilbert, and 義雄 山内. セルボーンの博物誌. 講談社学術文庫.  Vol. [1018]: 講談社, 1992.
White, Gilbert, and Paul G. M. Foster. The Natural History of Selborne. The World's Classics. Oxford University Press, 1993.
 

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実佳が行っているチョートン・ハウスはセルボーンの近くである。次の日曜日くらいに、遊びにいくらしい。私も一度行ってみたい場所である。セルボーンという村は、イギリスのハンプシャーの小さな村であるが、18世紀の末に、その村の牧師のギルバート・ホワイトが書いた書物舞台となった村である。この書物の自然誌に関する部分が、現在では『セルボーンの自然誌』として古典となっている。ペンギンやオクスフォード大出版局から、優れたイントロと注釈が付き、挿絵を入れた書物が出版され続けている。 特に、バードウオッチングの部分が傑作として名高い。英語の文章は、柔らかさがあって、私は素晴らしいと思う。日本語でも偉大な英文学者たちが定期的に訳し替えている。私は英語は古いオックスフォード・クラシックスを持ってて、日本語は山内義雄講談社学術文庫を持っている。アマゾンに行ってみたら、アン・シコード先生がイントロと註をつけた新しいオクスフォード版が出ていたので、喜んで買っておいた。なお、日本のアマゾンでは、ペンギンとオクスフォードが混乱しているので、買う時には気を付けてください、
 
『セルボーンの博物誌』を読んでいたら、「ハンセン病の克服」という文章があったので、内容をメモ。 日本語版では、私が見ている原文にはない見出しがつけられていて、そのタイトルが「ハンセン病の克服」である。バリントンへの手紙の Letter 37である。
 
セルボーンの村には、手のひらと足の裏だけが侵される特別なハンセン病を患う人物がいた。子供の頃からこの病気のため歩いたり仕事したりできず、30歳で死ぬまで村の負担になっていた。この病気は、かつては全ヨーロッパで流行していた。イギリスでもあちこちに療養所があった。しかし、現在ではハンセン病は非常にまれな疾病になった。このようなハンセン病の衰退の理由を考えたときに、やはり栄養と生活の改善が大きいだろう。かつては肉や魚は、塩漬けの質が悪い物であったが、今では牛の生肉が手に入る。昔はすぐに汚くなる毛のシャツが肌着であったが、今はリネンのシャツを誰もが来ている。毛のシャツを着ているのは貧乏なウェールズ人だけである。パンも、昔のような皮つきの小麦粉や豆があるパンではなく、小麦だけの白いパンを食べることができる。これは、血液を甘くして、体液をふさわしいものにする。野菜もたくさん食べている。だからハンセン病は克服されたのだろう。
 
医学史的には、どの部分をあまり意味をなさない。でも、18世紀の経済発展を伸び伸びとたたえる態度は、不思議な好感を与える。
 
白い小麦粉で作ったパンについて。私は今でも皮を全部取って白くした小麦粉で作ったパンが好きである。トーストにしたり、日曜の朝にはフレンチトーストを作ってもらったりする。心の底では、このせいで健康なんだと思うけど、授業や論文ではもちろん言わないようにしている(笑)実佳は最初は困惑したけれども、誰にも迷惑がかからないし、実佳が有名なパン屋で買ってくるようなパンも食べるから、二人で食べるパンと私の白いパンと、二種類のパンを買ってくれる。