シェイクスピアの義理の息子である17世紀の医師の症例誌
バラのヘリテージとデズデモナ
連休も終わり、天気は少し崩れてくるとのこと。庭のバラも数日間一休みという感じになります。ヘリテージという保守そのものの名前をつけたバラが咲き始めました。もう一枚の白はデズデモナです。
サルトルとラカンとメスカリン
FBでポルス先生がアップロードしたサイトで、サルトルとメスカリンとラカンに関する面白い記事。
サルトルは1920年代から30年代にパリの大学校でメスカリンなどのクスリを用いたこと、その刺激を通じてインスピレーションを得ようとしたこと、その結果さまざまな幻覚が現れたこと、カニが登場する幻覚はその後普通の暮らしに戻っても数年も続いたこと、これをラカンが分析し、それがうまくいって、サルトルとラカンの間に信頼と友情が生まれたこと、ラカンによれば、メスカリンによって思春期に生じた心配と孤立感が、カニの幻覚によって解決されたこと。サルトルが子供の頃に感じた海の生き物への恐怖も表現しているとのこと。ラカンの解釈が正しいかどうかは別にして、面白いことは事実だし、その解釈で二人も皆さんもいいやという安心感がありますね(笑)
先日、コクトーが同時期の日本にクスリを持ち込んだことも書いた。軍の医学が行うもとの並んで、ラジカルな左翼が行うクスリの利用もマークしておこう。
花柳病と性欲と食餌について
電気ショック療法の歴史的な意味と現在の意味の転換へ
日本の精神医療の制度的な体制、特に精神病院と病床数が世界で圧倒的に多いのを改革しなければならないという動きが始まっている。それにともなって、精神病床が増えていく時期によく使われたロボトミーやECT(電気ショック療法)などのネガティヴな側面を発見して描こうという歴史的な風潮も日本で動き始めている。
これは欧米諸国の運動を1世代くらい後に真似することである。精神病床が多い体制を批判すること、精神病院の病床数が多い時期によく用いられた薬物療法以外の方法を批判すること、どちらの風潮も、アメリカやイギリスでは50年ほど前にはじまったことである。その風潮を日本でも再現することは、メリットもあると同時に、デメリットもあるだろう。
一方、イギリスやアメリカでは、精神病院は廃止しすぎたのではないか、昔の治療法もそれほど一方的に批判するばかりではないだろうという揺り戻しの傾向もある。BBCのこの記事は、ECTのメリットを強調する記事である。ことに、うつ病に対する効果が強調されている。これは読んでおくといい。
東京の<きつねそば>
カルピスでちょっと書いた<東京のきつねそば>の問題は、私はずっと時々考えている。あまり意味がないなという気がしばらくしているのだけれども(笑)
関西の「きつね」はキツネが好きな油揚げを乗せたうどん。うどんではなくてそばを使っているのが「たぬき」。まるでタヌキのように化かしているから。これは、美しい複数の語義の形成で、いいなあと思っている。
東京では違う。新しいシステムが導入されている。トッピングーめんの二元論のシステムである。きつねーうどんは油揚げをのせたうどん、きつねーそばは、油揚げをのせたそば。たぬきーうどんは天かすをのせたうどん、たぬきーそばは天かすをのせたそば。 この二元論のシステムがあるから、現実のうどんやそばの名称が<新たに>形成される。
だから大正時代のカルピスは、「屠蘇散ーお酒」と「屠蘇散ーカルピス」という二つのものを構成できた。この発想が東京のきつねそばの発想だよねということです。
やっぱりどこに行くのかよくわからない(笑)