學士會会報の930号の表紙は、東大医学部の学部長であった長与又郎の胸像である。長与又郎(1878-1941)は名家に生まれた著名な東大医学部の教授である。父親は長与専斎(1838-1902)で、肥前国の出身で適塾や長崎のポンぺに学び、明治政府の衛生局長となって初期の医学と公衆衛生の体制を作った人物である。長与又郎はその四男で、東大医学部とハイデルベルク大学に学んでガンの権威となり、東大総長にもなった。
面白い話は、今回の会報の表紙に用いられているのは、胸像の複製品であるということである。昭和18年に「金属類回収令」を出して、国民に金属を供出することを命じた。帝国大学も従い、学内各所の優れた教授のブロンズ製の胸像を提供した。その時に、長与の胸像はセメントで複製が作られたという。もともとのブロンズ製の長与像は供出され、その複製のセメント製の長与像が医学部によって保有されていたという。
最後に、この話についているもう一つのひねり。セメント像はわりと劣化しやすく、「劣化が進み、粗大ゴミ化していた」というものになっていたが、今回、東大総合研究博物館は、劣化したセメント像にブロンズ彩色を施し、非常に立派に見えるものになった。立派にするか、セメントらしさを保存するのか、論争があったのかな。東大に行ったら、複製のセメント製で、平成のブロンズ彩色を持ったこの胸像を拝見してこよう。