古い栞(しおり)

栞(しおり)は何となく集めている。これはしおりとして売られている立派な市販品を買うことではなくて、寺や教会や博物館に行ったときの入場券をしおりとして使うためにしまっておくことである。ただ、最近はしおりへの逆風が吹いていませんか?私にとっては、本は図書館本が多いこと、紙に印刷された本ではなく電子図書を読むこと、関係がある章だけ読むことなどが原因になっている。それでも、同じように入場券のしおりは集めていて、二箱くらいたまってますけど(笑)

だから、昔の本を久しぶりにひらくと、そこにしおりがはさまれている。今回は1987年3月15日に読了と書き込んである本にはさまれたしおりと再会した。一瞬わからなかったが、永谷園のお茶漬けについている名画のカードである。私のぼんやりとした記憶だと、最初は広重の東海道五十三次だけだったが、急速にシリーズの種類が増加したと思う。このカードは竹久夢二の『長い髪』である。裏に書いてあるのは9種類。ネットで10種類という記述があり、おそらくシルクロードに中国編以外の何かがあるのだろう。富嶽三十六景が46図あることも初めて知りました。

 

広重 東海道五十三次

喜多川歌麿

東洲斎写楽

北斎 富嶽三十六景

ルノワール

ゴッホゴーギャン

印象派(マネ、セザンヌドガ、スーラ)

シルクロード・中国編

竹久夢二

f:id:akihitosuzuki:20190923153157j:plain

しおりと読了年月日の同時発見です(笑)

 

セル看護提供方式®とは何か

www.igaku-shoin.co.jp

 

週刊医学界新聞の最新号で「セル看護提供方式」®が説明されている。これが面白いのでメモ。

もともとは製造業の世界にセル生産方式と呼ばれる生産体制があり、1人、もしくは数人の小集団が製品の組み立てから検査までの全工程を受け持つことで待ち時間を排除し、生産性を上げる方式である。これを看護分野に応用したのがセル看護であるとのこと。セル看護が従来の看護提供方式と異なるのは,患者―看護師間のやりとりだけに注視するのではなく,業務の「流れ」と患者に与える「結果」にも着目し,勤務時間内に最高のパフォーマンスを上げる点にある。その中で特筆すべき点は,①受け持ち患者の均等割り振り,②看護業務のムダ取りの大きく分けて2つであるとのこと。良い意味でも悪い意味でも、患者が質が高い工業製品化しているという感じを持つ。

もともとセル生産方式は日本で提唱された生産方式。これまでの生産方式はライン方式などと呼ばれていた。19世紀の末から20世紀の初頭にかけて、アメリカを中心として大量生産、ベルトコンベア、個々の労働者は一つの作業だけというシステムが導入された。生産は向上したが、労働者たちにとって非常につまらない、殺伐とした労働環境となる。

それに対して1990年代に日本が導入したのがセル生産方式。少人数が全般的な能力を多様に持つという方法であるとのこと。ことに、多様なものを少数ずつ作っていくという方式がふさわしいとのこと。だから、看護士が、ある個人の多様性に対応できるさまざまなスキルを持つことができるとのこと。一方で、安いベルトコンベアと本物の職人が競争をしているような印象があると同時に、職人はそんなに理想的なのかという問いもありますね。 

慶應出版会より生命の教養学『感染る』(うつる)が刊行されました!

慶應出版会より生命の教養学・第14回の『感染る』が刊行されました。編者は赤江雄一先生と高橋宣也先生。

感染症は地球上から消滅するはずでした。1980年には「我々は感染症の医学教科書を閉じなければならない」と言われています。それが、HIV/AIDS の大被害や、エボラ出血熱が広がる気配を示していることなど、まったく違う状況を取りました。そのような状況で『感染る』という論集を組むのは非常に重要なアイデアですし、多くの書き手が優れた文章を書いています。以下のサイトをご覧ください。

 

www.keio-up.co.jp

 

私は「保菌者」の概念と実践を取り上げました。HIV/AIDSの初期の問題は、まだその症状が現れていないため、感染源である人物がそ自分がウィルスを持っていることさえ知らないまま性病予防をせずに感染が放置されたという状況です。この人物は「患者」というよりも「保菌者」と呼ぶことがふさわしいです。アメリカ合衆国では、20世紀初頭と20世紀末にかんして、それぞれ腸チフスHIV/AIDS の保菌者が問題になっています。それを念頭において、日本の20世紀初頭の腸チフスなどと20世紀末の HIV/AIDSを見たものです。両者の対比はかなり大きなものがあります。読まれたい方は、ご一報くだされば、私の論文をお送りします。

二十四節気の秋分

秋分は仲秋8月の中気。この部分をどう解釈するか説明すると、全体で24の節気、その中で秋はもちろん6つの節気がある。立秋処暑、白露、秋分寒露(かんろ)、霜降(そうこう)である。そこに三つの孟と仲と季が重ねられる。春は孟春、仲春、季春、夏は孟夏、仲夏、季夏であり、秋、冬もそのようにつながれる。十二支の重ねである。秋には、申(シン、サル)、酉(トリ、ユウ)、そして戌(ジュツ、イヌ)がある。だから、以下のようになる。

立秋 孟秋7月の建申の月
処暑 孟秋7月の中気
白露 仲秋8月の建酉の月
秋分 仲秋8月の中気
寒露 季秋9月の建戌の月
霜降 季秋9月の中気

秋分春分の対称点に当たる。太陽は黄経180度。再び天の赤道と王道が交差する。太陽暦では9月23日になる。

初候は「雷乃収聲」(らいすなわちこえをおさむ)。春分の次候には「雷乃発聲」(らいすなわちこえをはっす)とあり、それと対象となる。次候は蟄虫杯戸(ちつちうこをふさぐ)。虫たちが越冬のための巣こもりをはじめる。末候は「水始涸」(みずはじめてかる)。空気が乾燥して降水量の少ない中国北部では、この頃に池泉や井戸などの水が不足するようなことがあるのだろう。

本音というか史実を言っておきます(笑)春分の次候の「雷乃発聲」。これは覚えていない!と多少のショックを受けましたが、調べてみると、春分についての項目をまとめて書いていなかったのですね。

広告における月経の生理的出血の色など

 
広告における月経の出血についての記事について。BBCがオーストラリアの事例を記事にしている。経血をそのまま動画にしても問題なしとのこと。私はその動画を見ることができなかった。日本に住んでいるからなのかな。サイトの広告用の写真を見ても、あまり何かを感じないが、想像力を使うと、たしかに奥が深い写真ではありますね(笑)
 
月経における出血は生理的な出血とも呼ばれ、20世紀前半までの大きな意味付けが多少過剰であったという視点がある。たしかに、私が小学校の頃は、月経に色々な意味付けが行われてきた。現在でも、広告で月経の出血を動画で表現するおりには、赤ではなく青の色を使うとのこと。日本などでは経血が青い液体で表現されているとのこと。広告ではそうなのだろうが、ソフィが作っている説明用の動画を見ると、もちろん赤い。ただ、そこでも色々と妙な画像化の力が働いているようにも思う。だいたい、肌色の皮膚に赤色の子宮って、不自然じゃないのですか? 
 

中国のらい病・ハンセン病

Burns, Susan L. Kingdom of the Sick: A History of Leprosy and Japan. University of Hawaiʻi Press, 2019.
Leung, Angela Ki Che, 梁, 其姿. Leprosy in China: A History. Columbia University Press, 2009. Studies of the East Asian Institute.

バーンズ先生が日本のハンセン病の書物を出版された。扱う時代は中世から現代までと長期にわたり、主題も、政治、宗教、文学、患者の権限、そして1990年代以降の victimology と呼ぶことができる歴史の書き方などと、非常に多様である。多様な視点を埋め込む通史であると考えていい。

これと似た手法を取っているのが、2009年に刊行されたアンジェラ・リューン先生の中国のハンセン病の書物である。これは古代から現代までの中国のハンセン病に関する通史である。

中国にはいくつかの大きな特徴があった。一つは隔離の歴史的な経緯が、西洋とも日本とも異なったシステムであったことである。中国では、らい病の患者を隔離するという体制が、それぞれの地区がリードをとって、16世紀くらいから華南で発展したことである。巻末に一覧表があるので見ていただきたい。ヨーロッパでは、1100年くらいから隔離の施設がそれぞれの都市や村で20,000施設も作られ、1500年にはおそらくらい病自体が減少して隔離体制は消えていった。日本では、隔離をした施設は中世に設立されたが、それらがほとんど発展しなかった。

もう一つが1900年前後の中国人の世界拡散である。非常に多数の中国人が世界各地に進出し、彼らがしばしばハンセン病をもっていたので、ヨーロッパは、中国人がハンセン病を世界に広めているという想像力の産物を作り出した。その意味で、中国のハンセン病は多くの帝国主義者にとって、深い問題であり、それを打ち破るためにキリスト教が中国で活躍していた。たしかに日本と異なった風景だと思う。

バーンズ先生の書物もリューン先生の書物も、とても優れた書物である。ぜひご覧くださいませ。