イングランドの民間医療書

The Ladies’ Dispensatory (1652) の モダン・エディションに目を通す。 
1649年以降のイングランドでは、堰を切ったように一般向け self-help 医学書が出版された。 Charles Webseter によれは、49年からの10年間で163点に上るという。 この書物は、その一つで、Leonard Sowerby という人物の手による処方集。 フォーマットとしては、二つの「引き方」ができるようになっており、病気から治療法を調べる形式と、薬(主として植物)から、それがどのような効用を持っているか調べる形式の、2種類のマニュアルからなる。 どちらも、内容は非常に簡単で素朴である。 処方に用いられる薬は、主に単一の薬草などからなる “simple” であり、”compound” は避けられている。 (これについては、詳しい考察がイントロにある。) 薬草の量の指定もなく、「野生のフェネルを飲むこと」のように、処理の指定も一般的な言い方になっている。 
その一方で、この書物を「貧相な薬草処方集」と考えるのは的確ではない。ディオスコリデスを中心にした古典医学以来の bookish な蓄積の上に立つ本書は、一つの病気・症状に対して、きわめて多様な処方を紹介している。 「Aborition を起こすために」(このようにはっきり書いてある書物は珍しいとのこと)の項目には50種類の処方が列挙されている。 このように処方が多い理由を、現代版の編者たちは面白い仕方で説明をしている。薬の多くは植物、それも野生の植物であるため、季節によって手に入らない時期もあるし、地方によっては自生しておらず手に入りにくいものもある。 これを考慮して、多数の植物を掲載することで、オールシーズン・広範な地域で使えるようにしたという。 また、治療が個人の体質や占星術的な素因によって決まっていたパラダイムのもとでは、多くの体質の個人に対応できるように、多様な薬が掲載されていたと考えられるという。 
 こういうことが言えないだろうか。 規格化された薬品を全国・国際的なネットワークで入手できるような専門家(薬種商と外科・内科医)から薬を購入できるならば、少数の効く薬をピンポイントで掲げればよい。 供給が安定しているからである。 一方で、そのような確実な経路を持たず、季節と植生に左右される野生の薬草を採って行う治療を、季節を問わずに広範な地域に紹介するには、ピンポイントの処方は成立しない。特に出版という形態で、多様な植生や環境のもとで暮らしている人々の役に立とうとするとき、地域差などを考慮したバッファが必須になる。 多数の植物の列挙は、植生の境界を越えて、ある特定の植生に依存する医学的な知識と技術を流通させようとした戦略の帰結とは考えられないだろうか。 
 一つの疑問。 この書物が、なぜ、Ladies’ Dispensatory なのだろうか。 薬を見つけ、調合して与えるのは女性の仕事だから、という説明でいいのだろうか。当時の梅毒の蔓延を反映して、性病の結果である男性器の潰瘍の治療法などが多数掲載されているが、これも女性の仕事だったのだろうか。近代的先入観かもしれないが、男性の性病治療というのは、妻に隠れて自分で一人でこっそり医者に行き、一人で隠れて薬を飲んだり塗ったりする、というイメージがあった。 

文献 Sowerby, Leonard, The Ladies Dispensatory, edited by Carey Balaban, Jonathan Erlen and Richard Siderits (New York: Routledge, 2003).

画像はUCLA: Index ofMedi    eval     Medical Images より、1500年ごろのイタリアの写本より、"viola"