自然と正常


必要があって、19世紀のアメリカの医学の変化を論じた名著の、実験医学の影響の部分を読み返した。文献は、Warner, John Harley, The Therapeutic Perspective: Medical Practice, Knowledge, and Identity in America (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1986).

そもそも「病気を治す」ということは、いったい何をすることなのだろうか?歴史上、医者たちは「治療」ということで何を目標にしてきたのだろうか?「病気とは何か」という問いが奥深いものであるように、「治療とは何か」という問いも奥深い。しかし、これまでこの問題を扱った医学史の研究は少なかった。治療こそが、最終的には医学のレゾン・デートルであり、医者と患者をつなぐもっとも強い絆であるにもかかわらず、治療については、「それは有効であったかどうか」ということホイッグ的な視点だけから問題にされてきた。

この書物のリサーチのキモは、19世紀のアメリカの二つの病院の患者記録である。これらの病院の患者記録は状態がよく、長期にわたって医者が行ったことがもれなく記録されていると考えられる。このようなアーカイヴを使って、いろいろなことを調べているけれども、その中でもっともインパクトがあるのが、「自然 natural 」と「正常 normal」の違いである。19世紀の前半の医者たち(そして患者たち)は、病気を「自然な状態」からの変異と捉えていた。この時の「自然」というのはもちろん複雑な概念だけれども、単純化していうと、「その患者個人にとって自然な状態」が概念の中心にあった。一方、「正常 normal 」というのは、集団-場合によっては人間の集団全体-の中で較べたときに、その中で最もよく見られる値からずれているということである。「値」という言い方をしたのは、「正常」を基準にして病気を理解するためには、健康や病気に関係がある人間の身体の現象が計量化されて、数値として表される必要があるからである。また、その現象というのは、身体全体のバランスの問題ではなくて、ある特定の現象を切り取って計ることができるものであった。「自然」と「正常」というのは、微妙な仕方で、しかし根本的に異なった医学における目標であった。

この著作のハイライトは、病院の患者記録において、「自然」と「正常」という言葉が使われた頻度の変化をあとづけたものである。患者の記録の中で、どれだけが natural を、どれだけが normal を使っているかをあらわしたグラフを見ると、一目瞭然で、19世紀のアメリカの病院医学が、normal という概念を使って患者の健康と病気を理解するようになったことが明らかになる。

医学の概念を取り扱った歴史の中で、これだけ鮮やかな仕方で、概念上の変化を計量的にあとづけた仕事を私は他に知らない。医学の概念史と社会史の方法を組み合わせたこのエビデンスは、大学院生のときに読んで、月並みな言い方だけれども、衝撃に近い感動を受けた。それまで日本で医学史を学んでいた私は、まさか、こんなリサーチと立論の仕方がありえるなんて、想像してもいなかった。その意味で、もちろん内容も素晴らしいが、この書物に教えられたリサーチのテクニックは、私の青春の一冊といっていい。

画像は、二つの病院のカルテの中で、natural と normal という語が現れた頻度をグラフ化したもの。 年代の経過とともに、どちらの病院でも、naturalからnormal への移行が見られる。