フィリピンのコレラの地理学

1902-4年のフィリピンのコレラの流行を地理学的に分析した論文を読む。
 Peter Haggettとチームを組んで疾病地理学の古典的な仕事をしている Andrew Cliffたちの仕事。麻疹、島嶼の流行病、世界の大都市と矢継ぎ早に大きな本を出してきたチームだが、今度は戦争と疾病の伝播についての大きな本をオクスフォードから出したらしい。 その大きな仕事の一つの軸になっている仕事だろうなと想像しながら読んだ。
 米西戦争に続くフィリピンのアメリカ支配への反乱の末期の1902年にフィリピンにコレラが大流行した。 約20万人の死者が出たという。 (当時のフィリピンの人口は800万弱だから、人口比で言うと非常に大きな数字である。コレラが流行していた当時の日本の人口は4000万人くらいだが、20万以上の死者を出した流行は、明治以降は一度もない。) この流行は、1902年の3月に始まって1903年の2月に終る流行波と、1903年の5月から1904年の2月までの流行波の二つに明確に分けることができる。この波の前者は内乱の継続中に起きており、後者は平和が回復されてから起きている。ここから、戦時と常時の疾病の流行・伝播の違いを計量地理学のモデルを使って表そうという研究である。
 使われていた手法には数多く、若干の数学を必要とするが、この学派の常として、分かりやすい説明で、データセットがそろいさえすれば自分もできるかのような楽しい錯覚を持つことができる。流行が到達するまでの時間の決定要因として、人口規模と距離のどちらに反応するか較べるという古典的な方法が基本だが、それによると、この流行では階層的な伝播よりも、隣接地域への接触的伝播が圧倒的に優位である。Pyle の古典的な研究の範例で言えば、1830年代のアメリカのコレラ伝播のパターンである。当時のフィリピンには都市階層構造が作られておらず、戦争以前の孤立的な地域構造が戦争の影響によって混乱し流動的になっていた状況でのコレラ流行だからである。 論文の主題である戦時と常時の比較は、この学派らしい注意深い結論になっている。 基本的な伝播の構造の変化は見られないが、戦争が伝播の速度を速めたことは確からしいという。 
 主要な論文のテーマ以外にも、彼らが戦争と疾病の流行について知り尽くしていることを伺わせる、何気ないコメントの数々が有益だった。軍隊の駐留地に保護を求めて人々が集まってくること、食糧生産と供給が混乱すること、軍隊的な防疫が行われることなど。
文献
Smallman-Raynor, Matthew and Andrew D. Cliff, “The Philippines Insurrection and the 1902-4 Cholera Epidemic: Part I – Epidemiological Diffusion Processes in War”, Journal of Historical Geography, 24(1998), 69-89.
Smallman-Raynor, Matthew and Andrew D. Cliff, “The Philippines Insurrection and the 1902-4 Cholera Epidemic: Part II – Diffusion Patterns in War and Peace”, Journal of Historical Geography, 24(1998), 188-210..