ヒポクラテス医学


授業で古典古代の医学(主にヒポクラテス)を教えるために、The Western Medical Tradition (1995)の第一章、Vivian Nutton によるギリシア医学の章を読みなおす。
 個人的な好みの話をすると、ギリシア医学の歴史を教えるのは、いつでも楽しい。エーデルシュタインやテムキンといった医学史研究の巨人たちが、論理的で明快な主張を論争的に展開してきた主題だから、とても教えやすい。ナットンの説明も、読んでいてとてもわかりやすく、教える前に頭の中に流れを作るのに役立った。
ヒポクラテス医学の特徴として、ギリシアの疾病環境と社会状況の中で、他のタイプの治療体系・治療形態と競合しながら磨かれた医学である、というまとめ方をナットンはしている。疾病環境で言うと、ギリシアに広く存在したマラリアは規則的な周期で熱が上下する疾患であり、この病気の観察は、パターンを持った「過程」として病気を捉える視点を生んだ。グルメクは、「(マラリアがない)スカンジナヴィアではヒポクラテス医学は誕生しえなかった」とまで言う。社会状況としては、(アテネを例外として)それぞれのポリスや村の人口規模が小さく、定住して医療に特化することが難しい状況で、ヒポクラテス派の医師たちは、遍歴しながら医療に特化することを選んだ。(これを、「紀元前5世紀のベンチャービジネス」と説明したのは、ちょっと言い過ぎだったかもしれない。)遍歴しながら、その土地のストレンジャーとして医療という身体への親密な働きかけを行うことは、見知らぬ町の環境に注目してどのような病気が多いか予想しようとする態度を生んだ。(環境の重視。)また、病人にとっては、見ず知らずの医者に身体と命を預けるわけで、医者は信頼を勝ち得なければならない。そのために、病気のこれまでの経過と将来の予後を的確に推察する能力を磨こうというインセンティヴが働いた。つまり、ヒポクラテス派の医学は、ギリシアの自然環境と社会環境の中で、新しい医学の形態と内容を作って他のタイプの医療と競争しようという戦略の産物である。
世襲でも、権力者のパトロネージでも、マニピュレイトしやすい「うわさ」でもなく、見知らぬ田舎町での対面的な状況で、患者の信頼を<その都度>勝ち得なければならない状況で鍛えられた医学と言うことができるだろう。いま、辞典の項目として日本の医学の歴史の鳥瞰図を書いているが、日本でも、ちょっと似た医者がいたような気がするが、思いつかない。 

文献: Vivian Nutton, “Medicine in the Greek World, 800-50BC”, in Lawrence I. Conrad et.al., Western Medical Tradition (Cambridge: Cambrdige University Press, 1995), 11-38. 言及したグルメクの文献は、Mirco Grmek, Diseases in the Ancient Greek World, translated by Mireille Muellner and Leonard Muellner (Baltimore: Johns Hopkins Press, 1989).

画像は、ヘルメスの杖。しばしば間違えられるが、アスクレピウスの杖の蛇は一匹だそうです。