治療法の違いとジェンダー/セックス


 17-18世紀のイギリスの医療において、病気の治療に性差があるかと論じた論文を読む。

 「同じ病気であっても男と女の治療は異なっていた」と聞いて、「当たり前じゃないか」と感じるのは確かである。しかし、開き直って、「医者は、どんな原理に従って、男の患者と女の患者で治療法を変えていたのか?」と聞かれると、実はよくわからない。身体の大きさに応じて処方する薬の量を変えていたんだろうか、とか、女には何となくマイルドな薬を処方していたんじゃないか、ぐらいの想像しか私は思いつかない。この、当たり前のようでいて実は奥が深い問題に、膨大な医者の治療の記録の調査に基づいて答えを与えようとしたのが、この論文である。
 主張の中心は、男性とは異なった身体を持つ女性が、治療のモデルを提供していた、ということ。女性の身体は、健康時にも病気の時も性器から分泌し、月経があり、妊娠し、母乳を分泌するという、体液的な医学が注目する現象を見せる。医者にとっては、これらの現象は、見ることができない身体の中を透かして見せてくれる、診断や予後の判断や、治療上の助けになる現象である。一方、男性の身体ではこれらの現象は種類も頻度も少ない。体液医学にとっては、実は女性の身体のほうが範例的である。アーチボウルド・ピットケアン (Archibald Pitcairne, 1652-1713)の言葉である、「男性とは子宮をもたない女性である」という言葉は、無数に存在する「女性は男性のできそこないである」という言説のミラーイメージになる。
 この論文は、こういった興味深い洞察を通じて、17-18世紀の身体とセックスとジェンダーを論ずる時のスタンダードな枠組みになっているトマス・ラカーのいわゆる「ワンセックスモデル」が17-18世紀にあてはまらないことを論じる、という構成をとっている。気持ちはわかるし、私自身、ラカー批判に「話を落とす」という構成で論文を書いたこともあるが、何か、論点がずれているような気がする。

文献は、Wendy D.Churchill, “The Medical Practice of the Sexed Body: Women, Men, and Disease in Britain, circa 1600-1740”, Social History of Medicine, 18(2005), 3-22.

画像は新吉原の梅毒検査所から出てくる娼妓の光景を描いたもの。 明治16年。