ロシアの発疹チフス

 ロシアの発疹チフスについての論文を読む。
 疾病の歴史を本格的に学び始めるまで、ロシアの興隆と拡大が果たした役割を過小評価していた(というか、頭の中にロシアのことなど入っていなかった)。18世紀以来、ロシアは黒海カスピ海周辺に進出し、それまでその付近に存在していた通商のルートなどを活性化し、また、辺境地に軍隊という理想的な病気の媒介者を駐屯させた。この結果、(インド)-中央アジア-東欧-西ヨーロッパという、ユーラシアを(南)東から西へ結ぶ疾病疾病伝播の新しいハイウェイを作った。コレラも、18-19世紀のインフルエンザも、ヨーロッパを東から西へと移動している。
 この論文は、ロシアの発疹チフスとその1918-22年の史上最悪の流行を淡々とつづった論文。こういう論文をきちんと読んで、各国の疾病史について基本的な情報を頭の中に刻み込んでおくことが必要になる。ロシアでは、発疹チフスはロシアの大都市に常在化して、戦争(クリミア戦争、ロシア=トルコ戦争、ロシア革命後の内乱など)や飢饉の時に爆発的に流行した病気。冬季に大都市に出稼ぎにきて劣悪な居住環境に住んでいたものたちが罹って、時に故郷に運んだ病気だから、成人男子に多く、冬に多く、大都市の近辺に多い。冬季に燃料がなくなると、風呂に入れないので、燃料不足の時に流行する病気。日本の発疹チフスと同じところもあるが、違うところのほうがはるかに多い。こういった断片を持っておくことは、国際的な文脈においた日本の疾病史が書くのに、ビッグセオリーと同じくらい必要だろう。 
 それにしても、日本の発疹チフスは少ないと思う。なぜだろう。日本人は風呂に入ったから、というタイプの説明は、色々な理由で私が嫌いなタイプの説明だが、正しかったら、仕方がない。

文献は K. David Patterson, “Typhus and Its Control in Russia, 1980-1940”, Medical History, 37(1993), 361-381.