アメリカの性病


 20世紀の前半のアメリカにおける性病対策の歴史の古典的な研究書を読む。
 AIDSのパンデミーとともに性病(VD)の歴史の研究は急速に充実したが、その中でもブラントの書物は定まった評価を得ている。ずっと前に買ったまま読んでいなかったが、もっと早く読んでおけば良かったと後悔した。分析は明快でデリケート、記述はヴィヴィッドで豊かである。20年前の著作だが、今でも色褪せない。
 全体を貫く枠組みは、性病を罪深い行為に対して与えられる罰として捉える道徳的なパラダイムと、性病を治療し予防しなければならない問題として捉える科学的なパラダイムの共存と緊張である。20世紀の初頭から、前者のヴィクトリア朝的な態度が残存しながらも、世俗化を背景に、そしてワッセルマン反応(1906)、サルヴァルサン(1909)などを契機にして、次第に後者のパラダイムが政策を主導するようになっていく複雑な過程が描き出される。ブラントが特に重点的に記述しているのは、軍隊におけるVD対策である。フランス式の売春婦の検査と認可を拒絶し、駐屯地付近の娼館を閉鎖して、アメリカの兵士を性病から守り、性病は家族に対する裏切り行為であるというレトリックを使って道徳的な堕落を監視したありさまは丁寧に記述されている。そして、1917年以来ヨーロッパ戦線に参加したアメリカ軍が、フランスの売春に対するおおらかな態度と衝突した様子の記述も読み応えがある。
 もう一つの枠組みは、「偽善的な沈黙」と公の場での議論を求める立場との戦いである。少し粗っぽくいうと、性病に関する隠蔽主義と情報公開主義の戦いである。ヴィクトリア期には性病は公に口にしてはならない話題であった。20世紀の初頭から一部の医者や社会改革家たちは、この隠蔽主義と戦って、彼らが社会的に活動し発言する場を確保した。しかし、第一次大戦の終結と共に、隠蔽主義が復活し、1930年代の後半に再び隠蔽主義と公開主義の戦いが繰り返されることになる。戦争とともに性病についての情報公開主義が力を得ていくのがポイントかもしれない。
 ブラントは、性病のエピデミオロジーについて懐疑的である。オズラーの二つの言葉が引用されている。一つは、梅毒の臨床的な症状があまりに多様なことを表したもので、「梅毒を学べば、全ての病気の臨床的特長を学んだことになる」。もう一つは、1917年、ワッセルマンから10年経った時点での発言で、「梅毒は統計学者にとっての絶望であり続けている」。私自身も、日本の梅毒の統計を不用意に少しだけ使ったことがあるが、気をつけなくては。
 ブラントは書いていないが、第一次大戦の時にアメリカ軍がヨーロッパで取った性病対策は、第二次大戦後に日本を占領したときのそれと較べて、対照的である。杉山章子の研究書によれば、日本側は1945年の8月から占領軍慰安事業を計画し、サムズも性病対策をきちんとした上で、将校用・白人兵士用・黒人兵士用の娼婦を用意することを要求したという。これは、私がサムズだったら、かなり恥ずかしい要求である。文明と民主主義を教えるはずの国の軍隊の「将校」用の娼館を作れというのは、なかなか言える台詞ではない。一方、第一次大戦のヨーロッパ戦線に赴いたアメリカ軍は、「世界で最も純潔な軍隊」を目指し、アメリカ兵の自制心と自尊心をことさらに強調してフランスの政策と対立するような態度を取ったとも読める。第一次大戦の時にヨーロッパに駐在したアメリカ軍には、道徳の模範でありたいという欲求が明らかだが、日本占領の時には、そうでもないのかもしれない。

文献: Alan M. Brandt, No Magic Bullet: A Social History of Venereal Disease in the United States since 1880 (Oxford: Oxford University Press, 1985).

画像は、1940年ごろの性病対策ポスター (NIHより)