社会疫学

フェローに教えられて、以前に買ってあった社会疫学(Social Epidemiology)の入門書を読む。

私の今の研究テーマは、歴史疫学 (historical epidemiology) であると、自分では思っている。それで、これまで「疫学入門」系の本を、英語でも日本語でも何冊か読んでみた。介入研究とか、交絡要因とか、書いてあることは頭では分かっても、どうせ歴史研究では使えないし、という気持ちもあって、知的に興奮しなかった。総じて、研究の設計とデータの解釈のためのテクニカルな注意点が満載で、有益ではあるが、展望を与えてくれたり、インスピレーションになった疫学入門書には、これまで出会えなかった。(読者の方で、お勧めの疫学の教科書がありましたら、教えてください。)
 この「社会疫学」の入門書はとても面白かった。社会科学系の理論と対話しながら生まれてきた疫学だから、生物医学というより社会科学の視点から、病気や健康の問題を見ている。正しいかどうか、あるいは厳密な検証に耐えるかどうかは、私には判断できないが、少なくとも知的な刺激を受けることができた。
 例えば不平等と健康の問題。所得と平均寿命の間に正の相関があるのは言うまでもない。しかし、ある学者の研究によると、OECD諸国の中では、(所得水準そのものより)所得の不平等が大きくなればなるほど、平均寿命は短くなる、という強い負の相関がある。イチロー・カワチの、なぜそうなるのか、という説明は、よくわかった。X軸に所得を、Y軸に平均寿命をプロットしてグラフを描くと、上に凸の曲線になるのがポイントだ。
 その他にもマルチレヴェルの問題、環境的誤謬の問題など、国際比較と国家、国家と地域、個人と地域の問題など、これまで疾病史や医学史の研究者たちが考えてきたことと響きあう視点が数多く提示されている。
 ただ、この立場が現れてきた「モデル・サブジェクト」は、やはり20世紀後半のアメリカだという気がする。絶対的な貧困は克服され、健康資源が(不平等にせよ)膨大に存在する社会を研究する中で得られてきた洞察が、19世紀後半から20世紀半ばの日本の疾病史を研究する時に、どの程度あてはめられるかは、気をつけなくてはならない。

文献: Lisa F. Berkman and Ichiro Kawachi eds., Social Epidemiology (Oxford: Oxford University Press, 2000).