新着雑誌の読み残しから、20世紀アメリカの精神医療における黒人患者の位置づけについての論文を読む。文献は、Gambino, Matthew, “’These Strangers within Our Gates’: Psychiatry and Mental Illness among Black Americans at St Elizabeth Hospital in Washington, DC, 1900-40”, History of Psychiatry, 19(2008), 387-408. 優れた論文だった。
ワシントンDCの州立精神病院で、アメリカの精神医学の歴史において重要な役割を果たしたセント・エリザベス精神病院(以下SE)の資料を使っている。医者たちと患者の双方を視野に収めた優れた研究。19世紀の半ば以降、アメリカで公立の精神病院が多数建設され、初期の理想はすぐに裏切られて収容監禁施設へと変質していったが、20世紀の前半には、精神医学のカムバックが起きる。アメリカでは、アサイラムをベースにしながらも、「狂気」ではなくて「精神の健康」を主題とする学問となる。個人・家族・社会の中で適合し機能するための健全な精神のあり方を研究する学問である。そのために、学校や軍隊などにおける通常の施設における精神・心理の研究を媒介とするようになる。これはアドルフ・マイヤーが象徴するように、精神医学と、教育学・社会学とのあいだに有機的な関係を作り出す進歩的な方向であったと考えられている。
一方で、精神の健康を社会の中におき、社会学の視点で見るというときに、その当該の社会が持つイデオロギーが、精神医学理論のより深い部分に組み込まれることも意味する。特に、20世紀前半のアメリカにおいては、黒人と白人の間の巨大な差別と不平等を前提にして社会と意識が作り上げられていた。白人にとって黒人の精神の劣等性は当然のことであった。その中で精神医学を社会化することは、社会の根深い偏見と差別的イデオロギーが、精神分析や社会学の言葉を用いて、精神医学の学知として表現されることを意味した。
このような、表面上はリベラルであっても、その根底において不平等な社会と結びついた精神医学に対し、収容された黒人たちは、総じて反抗的に振舞った。それは、彼らの妄想においても伺えるし(「自分は白人たちの支配者だ」)、精神病院で作業療法と称して賃金無しに労働させられることに対する抗議(「奴隷制はもう終わったんだぜ」)においてもそうであった。
素晴らしくよくできた論文だったから、敢えて批判を書く。患者記録を読めば、そこにはたくさん色々なことが書いてあるから、いってみれば、自分に都合がいい証拠をつなぎ合わせてどんなストーリーでも組み立てることができるということは、私たちの間では常識である。患者記録からはいろいろな<正しい>ストーリーをつむぐことができて、その複数ある正しいストーリーのうちどれが<重要>なのかという判断をした根拠を示すにはどうしたらいいのかというのが、私たちの多くが考えていることである。それを担保するために、カルテを全文データベースに打ちこんで計量的な分析をかけようとしている歴史学者(私ではありませんよ・・・笑)もいるけれども、これは、正直、実際的でない。