ホロコーストと発疹チフス

 19世紀から20世紀にかけて、ドイツが東欧で行った防疫対策と、ナチスのホロコースト政策の重なりを論じた書物を読む。
 シャワー室・毒ガス・死体焼却所。こう聞いて、誰もがアウシュヴィッツを思い浮かべるだろう。しかし、これらは、ドイツの医学・公衆衛生学が、発疹チフスの予防のために行った対策でもあった。しかも、ドイツがこの対策を集中的に行ったのは、ロシアとの国境やポーランドである。そして、発疹チフスの媒介動物がシラミであると確定されると、ドイツから見たときに発疹チフスの感染源であるポーランド人・ロシア人・ユダヤ人は、健康なドイツ民族の血を吸って毒を注入する寄生虫になる。寄生虫や感染症の絶滅を医者が本気で語り始めたように、ナチスもユダヤ人の絶滅をもくろんだ。つまり、ドイツが東欧地域で行った発疹チフス対策は、それから20年後のホロコーストと「似ている」のである。
 議論はこのようにシンプルであるが、それを支えているリサーチは広範で厚みがあり、近年の医学史上の概念装置は、要所要所で自在に使われている。議論している素材と、それを分析するための方法をマスターしきっている学者の筆致である。著者のワインドリングの、物静かで「影がある」と形容したくなる雰囲気が行間に響いてくるような文体も読みやすい。この書物は名著だと思う。

文献は Paul Weindling, Epidemics and Genocide in Eastern Europe, 1890-1945 (Oxford: Oxford University Press, 2000)