解放の日とチャネル諸島とユダヤ人迫害

土曜日のエスプレッソはいつも通りの面白さ。ヨーロッパや合衆国で covid-19 から抜け出すことができる方向に向かい始めたことで明るい話題も多い。フットボールのシーズンを始めること、マスクの生産のことなどである。それとともに観光業などにおける膨大な失業、映画における上位独占へのより強い移行など、パンデミックインパクトの暗さを感じる記事も多い。
 
それとはあまり関係がないが、「解放の日」におけるチャネル諸島についての記事が非常に面白かった。第二次大戦が終わったことを祝う「解放の日」は、ナチス・ドイツとの関係でかなりの期間で分かっていて、イギリスでは1945年5月9日だから、それに基づいてチャネル諸島について書いていた。チャネル諸島はフランスに近い幾つかの島で、1940年にナチス・ドイツに占領された。その後、市民による反ナチス運動もあり、地下通信も発展しており、イギリスが持つナチスへの抵抗の強さを物語っている。しかし、ナチスに賛成した部分もあった。それが反ユダヤ主義である。チャネル諸島の市民は、反ユダヤ主義には賛成していた。ユダヤ人たちは登録され、職業を禁止され、別の土地に送り込まれ、アウシュヴィッツにも3人送り込んでいる。ユダヤ人への強い差別と政策が実施されているのである。このあたりが、イギリスがナチス反対において非常に強力であったという主張に対する、小さい傷となる。
 
このタイプの議論が、私が最近しばらく考えている日本の精神病院の中における外国人の差別へのヒントになった。昭和戦前期の精神病院における二人の朝鮮人患者の取り扱いの違いをどのように考えるかという問題である。