植民地医学

 再びマーク・ハリソンである。今回は Public Health in British India である。

 授業の準備と、日本の疾病史の準備の都合で、19-20世紀の植民地医療の本も読み出している。近代日本疾病史・医療史という主題は、川上武らの優れた研究がある。『日本科学技術史 医学』はその代表である。彼ら先達の仕事に敬意を払いつつも、これは改めなければならないと思っているのは、「あるべき社会医学の理想」から遠いといって、日本の医療政策と医学者たちの実態を批判するという、彼らの基本的な姿勢である。彼らの語り口は、歴史の現実の分析でなく批判、時として断罪である。そうでない形で日本の医療史を書くためには、他の国はどうだったか、ということをできるだけ広く勉強しなければならない。このところ、ロシアの医学史を盛んに読んだりしているのも、そんな思いからであるし、ハリソンの本を読んでいるのも、似たような事情である。

 この本は、植民地医学の研究者の間では良く知られ、評価が定まっているので、その高水準について私があまり贅言を弄しなくてもいいだろう。この本は、植民地医学の歴史における二つの影響力が強い定説に対するオールタナティヴを出す形で構想されている。一つは、植民地医学は現地のヨーロッパ人(特に軍隊)を守ることに主眼を置き、現地人へのメリットは二次的であったという説。もう一つは、植民地医学は「帝国支配の道具」であったという説である。このどちらの定説も、ある程度妥当することを認めつつ、より的確に事実を説明する枠組みを提示することがハリソンの目標である。これらに代わってハリソンは、いくつかの大きな流れと枠組みを提示している。その一つは、19世紀の半ばに現れた、ヨーロッパ人の気候適応に対するペシミズムと、インドの医療と養生のテクニックに対する軽視である。いま一つは、「権威的パターナリズム」から「リベラルな分権主義」へ、という流れである。ヨーロッパ人が現地人を「文明化するミッション」を重んじていた前者から、自治を通じた公衆衛生へという流れが、前面で強調されている。こうした流れが生じた背景も丁寧に描写されている。国内では大反乱の影を意識しながら、インドの公衆衛生の状態を改革するために神経質にならざるをえず、対外的にはコレラとペストの発生源として対策を立てるような外圧がかかっているという複雑なディレンマの中で進まなければならなかった植民地医学の姿が、処女作とは思えないほど達者な筆で描かれている。特に、第4章、第5章は、病気についての病因論が、国内政策と国際関係に深く影響されることを鮮やかに論じた、医学史の大学院のセミナーのリーディング・マテリアルにぴったりである。

 一つ面白かったのが、ハリソンがカーティンの「リロケーション・コスト論」を批判するくだりだった。カーティンが「死亡」のデータに集中した結果、19世紀半ばの植民地の軍隊駐屯地の衛生改革の勝利を過大評価していると、ハリソンはいう。インドの駐屯地の医学は、死亡率が下がった後も、マラリア、腸チフス、VDといった病気の高い「有病率」に悩まされていた。私たちに残されているのは死亡のデータだが、過去の社会が実際に対応しなければならないのは、「病気」であった。病気 (morbidity) への対応という形で、医療の歴史や公衆衛生の歴史を考え直すと、これまで見えなかったことが見えてくるだろうともくろんでいるので、ハリソンの記述は面白かった。

文献は Mark Harrison, Public Health in British India: Anglo-Indian Preventive Medicine 1859-1914 (Cambridge: Cambridge University Press, 1994).