下水道と衛生の比較史


アメリカの学会での発表を綱渡りで終えて火曜日に帰国。これを乗り切れば状況は少しは良くなるかと思っていたが、予定を確認したら、むしろこの1-2週間の修羅場は深まっている。そんな中、色々差し迫った仕事があるが、半ば自暴自棄で世紀転換期のシカゴとマンチェスター両市の下水道・衛生行政を比較した論文を読む。
 1890年、医学と衛生学の世界は細菌学革命に沸き立っていた。都市工学、特に上下水道の世界も細菌学化され、新しい専門家たちが市の行政に参与するルートが拓かれていた。しかし、下水道処理における細菌学の使われ方は、市の政治状況や制度によって大きく異なっていた。そのことを、シカゴとマンチェスターの文脈で示した論文である。中央政府の指導が強力で、ジェントルマンの営みとしての科学が尊重されていたマンチェスターでは、活発な討論の末、当時最新の進歩的な細菌的浄化法が下水道処理に採用された。地方自治意識が強く、土木技師が市の衛生行政を牛耳っているようなシカゴは、細菌学者たちの警告に耳を傾けずに、商業目的の巨大運河を建設し続けていた。
 この論文で使われている概念装置は、医学史の世界では平凡とすら言ってよい。私がむしろ驚いたのは、論文のあちこちに満ちている価値判断を含んだ表現である。生物学的浄化の方法を採用したマンチェスターは進歩的な善玉で、水資源を浪費しながら環境に負荷をかけ続けたシカゴは時代遅れの悪者であるという露骨な図式である。「環境史」という分野にも、アメリカにありがちなアカデミック・ウォーズが入り込んでいるのだろうか。

論文は、Platt, Harold, “’Clever Microbes’: Bacteriology and Sanitary Technology in Manchester and Chicago during the Progressive Age,” Osiris, 2nd ser., 19(2004): 149-66.

画像は、1857年のシカゴの下水道のプラン