このブログでも前に取り上げたイアン・ハッキングの著書、 Historical Ontology を読む。
精神医学、心理学の歴史でも沢山のいい仕事を出しているハッキングが Historical Ontology という本を出したと聞いて期待していた。どこで勘違いしたのか、これまでの仕事で彼が使ってきた面白い方法論の概念を、まとまった形で述べたものかと思っていた。実際に読んでみたら、これまでに出版された文章を集めた論文集だった。しかも、そのうちの幾つかは、文字通り一晩で書かれたいわゆる雑文である。
ちょっとがっかりしたが、せっかくだから、唯一の書き下ろしの Historical Ontology と題された第一章を読んだ。フーコーの知識 / 権力論との関係、ロレーヌ・ダストンらの「歴史的認識論 historical epistemology 」と自分の方法の違いの説明などを通じて、historical ontology と名づけた方法を記述しようとしている。トラウマと子供の発達を例にとって、知識・権力・倫理の軸に沿って、トラウマや子供の発達という科学的な概念は、新しい「存在」を作り出す実例を少し書いて、ちょっと歴史と哲学の関係に触れたもの。
新しい科学的な概念によって、新しい存在や事態が、ある固有な状況の中で<リアルに>作り出されることを、ontology と言っているのだろうか。そしてその概念が現在用いられている場合にも、その概念が作られたときの、そして使われてきた歴史の<記憶>が刻み込まれているということを、historical といおうとしているのだろうか。
一部の歴史家は、ポストモダン系の論客に向かって「無知な田舎者」の態度を、底意地が悪い仕方で装う。 私は、この態度が嫌いだし、双方にとってもマイナスにしかならないと思っているが、ここでは、その手の疑問を発したい。 つまり、ハッキングのhistorical ontology は、哲学的な概念を持ち出して擁護しなければならない手法なのか、ということである。 トラウマの historical ontology は、私たち医療の社会史家がごく普通に行う、「トラウマ概念の社会的影響を探る」ことと、どこが違うのだろうか?それを探る方向として、知識・権力・倫理という道筋をつけてくれたことが、historical ontology なのだろうか?「病気のエコロジカル・ニッチ」(Mad Travelers)の概念より、むしろハッキングのポイントがわからなくなってしまった。
ハッキングたちの思考の根本にある、本質論と社会構成論の不毛な論争から前に進もうという気持ちは、とてもわかる。それらと同じくらいクリアな哲学的な基礎を持ったモデルがあると、私たち科学史・医学史の教師が授業をするのが、すごく楽になる。 でも、ハッキングの historical ontology は、そのモデルなのだろうか?
文献は、Hacking, Ian, Historical Ontology (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 2002).