薬の処方と消費者としての医者


 新着雑誌から。20世紀アメリカの処方薬をめぐる論争についての論文を読む。

 専門に研究している人は良く知っていると思うが、薬の歴史というのは、医学史の中で一番複雑で難しい分野だと思う。一方で処方された薬から成分を突き止めてそのバイオケミカルな効果は何かを特定するエッセンシャリストの手法がある。この手の研究では、私は John Riddle の古典医学の堕胎薬の研究が一番印象に残っている。その一方で、無数にある薬の広告における健康の表象を分析するような、カルスタ系の手法もある。どちらの手法も、面白い洞察をもたらすと同時に、苛立つほどナイーヴな、機械的にできあいのモデルをあてはめただけの仕事もないわけではない。

 アメリカの精神病院と細菌学の歴史について重要な仕事を発表してきたナンシー・トウムズが、アメリカ医学史学会で最も栄誉ある講演の一つである Fielding H. Garrison Lecture で、20世紀のアメリカの処方薬について話すことを選んだと知って、非常に期待した。そしてやはり、期待にたがわぬ、面白いものだった。

 患者による薬の使用をめぐる論争というと、私たちは本能的に、専門職としての医者が患者による薬の濫用をいましめる、という構図を考えてしまう。「医師の指示通りに服用してください。」「怪しげな薬に頼ってはいけません。」患者による濫用の規制の言説は、歴史の中にも現代にも溢れている。しかし、事態はそれよりもはるかに複雑である。18世紀にイングランドについて、ポーターは、正規の医者たち自身が売薬に深くかかわっていたことを描き出した。近代日本においても、浅田飴からベルツ水まで、当代一流の医者たちが売薬に深くかかわっている。大きな目標としては、こういった現象を整理して位置づける、専門家支配に代わる歴史的モデルの構築が、トウムズの狙いなのだろう。この論文の中で、特に面白かったのが、医者自身も薬の消費者であったという視点である。1938年の法律で食品・医薬品局(FDA) が「処方箋がないと買えない薬」を指定する権限を得てから特に、製薬業界にとって、医者は重要な顧客になった。医者は重要な広告のターゲットになった。患者相手の誇大広告とそれにだまされる愚かな患者という、これまでの危険と同じ落とし穴に、医者もはまってしまう構造が作られたのである。(ちなみに、アメリカでは広告の危険は、ファシズム的な洗脳による民主主義の危機と重ねあわされて議論されたという。)医者たちがあらたに直面した危険と問題に、20世紀の半ばには医者たち自身も気づいていた。医者たちは患者に対して専門家であったと同時に、製薬会社に対しては顧客であったのである。 

文献は Tomes, Nancy, “The Great American Medicine Show Revisited”, Bulletin of the History of Medicine, 79(2005), 627-663. 言及した Riddle の本は、Contraception and Abortion from the Ancient World to the Renaissance (Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press, 1992).
画像は、「健康はあなたの手に」を大きく、「医者と薬剤師が命じたことをしなさい」を小さく書いてあるポスター。NLMより。