19世紀後半のドイツの公共浴場の歴史を論じた論文を読む。文献はLadd, Brian K., “Public Baths and Civic Improvement in Nineteenth-Century German Cities”, Journal of Urban History, 14(1988), 372-393.
ヨーロッパの公共浴場の歴史というのは、意外に盲点である。コレラの流行をきっかけにして19世紀に建設された水関係設備の中でも、上下水道の重要性は私たちによって十分意識されているが、同じ時期に建設された公共浴場は、あまり意識に上らないか、基本的に違う目的の設備であるかのように(少なくとも私は)思い込んでいる。この論文は、入浴から清潔へ、清潔から道徳と家庭の幸福と繁栄へという貧困者層改善の設計図を描き、それぞれの市で競って公共浴場を建設した19世紀ドイツの衛生改革を研究した論文である。
いくつか面白いトリヴィアがあった。一つは浴場とシャワーの対比。後者は、1883年のベルリンの万国衛生博覧会で、浴場に替わりうる発明として展示された。市の誇りの象徴であった高価な浴場に較べて、シャワー型(当時はそういう言葉はなく、「レイン・バス」と呼んでいたそうだ)のものは約1/10のコストで済むが、以外に普及しなかったとのこと。もう一つは、あるボンの建築家の「ドイツの公共浴場が、市民にとって、厳格な階級の違いを和らげ、健康の大義のもとに団結する場にならんことを」という趣旨の発言である。(なるほど、これを期待したのなら、シャワーではだめっぽい・・・笑) 日本の銭湯がどうしても思い浮かんでしまう我々にとっては、少しコミックな違和感がある。
画像は、20世紀初頭のミュンヘンの浴場とシャワー場。上記論文より。