1920年代に流行して忘れられた精神外科学の一つを丹念に研究した傑作を読む。文献はScull, Andrew, Madhouse: A Tragic Tale of Megalomania and Modern Medicine (New Haven: Yale University Press, 2005)
1910年代から、体内に繁殖する細菌の膿巣を外科的に削除することで精神病を治療できるのではないかという希望が精神科医たちの間で広まった。当時のアメリカの精神科医は、医学の他の分野の進歩から取り残され、治療できない患者が沈殿していくばかりの田舎の巨大精神病院の管理者に堕していた。そういう現状に対する精神医学の中からの改革者たちも現れていた。彼らは実験室の医学を学び、後にジョンス・ホプキンズに君臨するアドルフ・マイヤーの薫陶を様々な形で受けた若き改革者たちである。その内の一人が、ニュージャージー州立トレントン病院のヘンリー・コットンであった。コットンは、細菌学の興隆の波に乗り、細菌の膿巣を外科的に切除することで、精神病を治療することができると主張した。膿巣の切除とは、虫歯を抜いたり扁桃腺を切り取ることに始まり、歯を全部、骨盤の一部(このあたり、手元に資料がなくて私にはよく分かっていない)、そして直腸の切除にまで至った。スカルはこれを「外科の狂宴」 (orgy of surgery) と読んでいる。 そして、コットンは、意識的にか無意識にかデータを大きく改ざんして、その治療法の効果を誇大に評価し、危険を極めて過小に評価した統計を発表して、この治療法の効果を喧伝した。精神科医たちの反応は割れていた。熱烈に歓迎したもの、慎重に評価したもの、はっきりと敵意を見せたものもいた。
この書物の真骨頂は、この治療法に対する騒ぎが大きくなって、トレントン病院の患者のカルテを調査しなおして治療法の効果が検討された経緯を再構成した部分である。このデリケートな仕事を任せられたのは、ホプキンスにおけるマイヤーの助手で、当時はまだ珍しい女性精神科医であったフィリス・グリーンエイカーだった。グリーンエイカーが単身トレントンで調査を始めると、コットンの統計のずさんさが明らかになる。数え方によっては、「治療」と呼べる患者は1割から2割にすぎないこと、そして手術が原因で死亡した患者が4割近くに上っていることが明らかにされる。このあたりの事情は、膨大なマイヤーのアーカイヴの調査と、1995年まで生きていたグリーンエイカーのインタビューによって明らかにされている。この気違い沙汰としか言いようがない手術が、10年以上もトレントンで続けられ、また多くの裕福な患者がコットンに依頼して私費で行われていたのである。
コットンへのさまざまな批判が高まり、グリーンエイカーの調査が公表されれば彼の学問的生命は完全に絶たれるというまさにそのとき、コットンは事故死する。事故死は彼を完全な破滅から救った。マイヤーを始めとする追悼文は、偉大な貢献をした精神科医としてコットンを称えるものであった。(野口英世のイメージが重なるのは私だけではないだろう。)
スカルは精神医療の歴史研究の主役の一人である。この30年間の英米の精神医療の歴史研究の深化は、彼の一連の仕事、特に Museum of Madness (1979) 抜きにしては語れない。このベテランがまだまだ健在であり、我々をうならせる仕事ができることを証明したのが本書である。社会学出身の著者にしては、事件の流れを追うことに主眼が置かれていて、分析が足りないという批判もあるだろう。それを差し引いても、この書物は傑作である。息もつかせぬテンポで話が展開するストーリーは映画にしてもいいような劇的なものである。翻訳されれば、商業的にも成功するだろう。